2011年2月12日土曜日

天使を考える

昼、私であるという意識を備えて外界との授受作用を為している。夜、睡眠という無意識の中で内界との授受作業をなしている。人間は寝たり目覚めたりしながら、それは意識と無意識が交互に訪れながら、地上界と霊界を行ったり来たりしている。現代人と古代人の大きな違いは、現代人は肉体という地上存在に深く浸透しているために地上意識はより明確になっており、古代人は現代ほど肉体に浸透していないため意識が曖昧であり、どちらかと言うと夢を見ているような意識状態にあった。逆に睡眠に入って霊界への境界を越えると、現代人は完全な無意識状態になるけれど、古代人は睡眠中こそある適度の霊意識を備えている。彼らに取って曖昧な地上界よりは霊界の方がより現実であって、事実様々な霊的存在との遣り取りの方が現実として支配した。現代人の良心は内的なものであるけれど、古代人のそれは霊的存在そのものであり、神の言葉に従わなければ鬼として襲い掛かり、悔い改めて従えば微笑む女神に存在様相を変えて慰労した。しかし現代人が呵責と感じる良心も、古代人が恐れた両神も同じ霊的存在に変わりは無い。ここで天使について考えて見る。天使と言う存在も霊的存在であるけれど、我々が描く天使像はどちらかと言うと古代人的な天使像だ。羽が生えていて飛び回っている天使像だ。両神が良心であるように、天使も内的な作用として捉えるほうが現代人に取っては天使のより天使としての作用を実感できる。人間に取って天使の働きの中での大きな要素は、霊の呼吸に関わっている。生命活動の呼吸をただ外的に見れば、空気を呼吸しながら酸素を吸収し炭素を排出している。霊の呼吸は天使を介して、外界での魂活動を通しての言葉と行動の人格の要素、理想の要素(原理で言えば生力要素)を人間は霊界で供出し、霊界から原理や愛の要素(生霊要素)を受け取る。だから天使は愛の実としての言葉と行動のエキスを吸収したくて待ち焦がれているし、それに応じた愛と理想を差し出し人間はそれを霊的力としてしっかり吸収することで天使との関係を必要なものとしている。人格と理想が私に備わっていくことの実感が、天使存在がしっかり関わってくれていることの実感だ。

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