2011年2月22日火曜日

今日の想い 264

いつのまにか空を見上げることを忘れ、犬の様に地面を嗅ぎながら塵を漁ろうとしている。どこまでもどこまでも空高く舞い上がって行く筈だったのに、そしてあの青い空に吸い込まれて溶け込んで、果てしなく大空を広がっていく理想に向かう自分が憧れだったのに、知らぬ間に私の魂は内に内に閉じこもってしまい、僅かの隙間から空の青を眩しそうに眺めているだけだ。御父様の理想を自分の理想として追い求め、耳パンをかじりながらも夢を味わい、チグハグの靴下でも笑い飛ばし、粗末な装いも誇りとしながら、明るさと微笑みを日焼けした顔に絶やさず歩んでいた。あの頃のみんなの共有していた想いは、時を経るに従って大きくなっていっただろうか。ひとり欠け、ふたり欠け、私の中の理想への憧れもその度に欠けていって、強く強く自分に言い聞かせなければ着いて行くのさえやっとで、息も絶え絶えながら歩んできた。それでもそんな我々が踏ん張ることで、統一の群れの裾をサタンの荒波に侵食されずにここまでこれた。最終路程の銅鑼の音を響かせ戦意を無理にでも高めながら、御父母様という神輿をみんなで担いで最後の峠に向かっている。私達は目標地点を目前にしながらも、と同時に崖っぷちに立ってもいる。多くの食口が疲れ果てて霊的な目が霞み、顔を上げることも出来ずに高みにそびえる登頂地点を確認もできない。崖に足をとられながら為す術がない。みんなが疲れて自分のことで精一杯なのはよくわかる。隣の食口が冷めた目でみ言葉をなぞらえ、霊的にはふらふらで信仰生命さえ危ういのに、そんなのに構ってもいられない。自分さえ危ういのだ。だけれども私達はそれでも御父様の息子であり娘だ。自分の安全圏を確保しておいて隣の食口に声をかけるのは御父様の在り様ではない。自分は後回しにして、自分の家族や子供は後回しにしても、隣の食口に声をかけるべきだ。御父様が御子女様を優先したことがあるだろうか。御家庭にあれ程の問題を抱えながら、それでも先ず食口を愛された御父様ではなかったか。だからせめてみんなで声を掛け合うべきだ。目立たず寂しく佇む兄弟を無視すべきではない。声のひとつもかけ、笑顔のひとつでもかけてこそ私は食口のひとりなのだ。青空を見上げることをもう一度思い出そう。青空に広がる私の理想をもう一度取り戻そう。私の魂はあの青い空にある。

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