2011年2月25日金曜日

今日の想い 265

飛行機が着陸態勢に入るために高度を下げていく。右肩を大きく傾けると機内の小さな窓の向こうにラスベガスの光の海が広がる。夜な夜なきらめき波打つ光の海は、シンシティーの罪と穢れを被い尽くしているようで、光の覆いの下にうごめく醜さに誰も気付かない。ここに初めて訪れた時は何とも言えない独特な空気の重さを感じて、大気の深海の底を潜っているような、そんな気分がした。今回で三回目だけれど、その間の御父様は何度も何度もこのラスベガスを訪ねられ、精誠条件を立てておられる。御父様が滞在しておられるので、この地も清まったはずだとみんなは言うけれど、私は素直にそうは思えない。ここに訪ねる者達の大半は堕落的な欲絡みの遊びに身を預ける。けっしてギャンブルだけに留まっている訳ではないだろう。持ち寄りもし、肥えさせもした悪の因縁、悪の霊達の吹き溜まりがこのラスベガスだ。見えないもの、見えなくていいものまでも御父様は見させられ、私や普通の人間が穢れの雰囲気を感じる以上に、その場のうごめく霊達があらゆる告白を御父様に迫って吐露してくる。前に呼ばれて私が御食事の配置をしている間、御父様が急に入ってこられて私と目が会ったとき即座に視線を落とされたことがある。私の背後の霊達から視線を削がれたのだ。タバコをを吸わない者が、ギャンブル場でタバコの煙が染み付いた独特の異臭に辟易するように、見たくも無い霊達の溜まり場でそのように見えておられるはずだ。そして更に、私などが触れるべきではないのかもしれないが、このネバダの地は尊い血を既に吸ってしまっている。因縁の地を訪ねながら、この地を愛し、この地で精誠を捧げようとされるのを敢えて御父様は御自身に課しておられるようだ。恩讐を愛して愛して、更に愛される御父様がこのラスベガスに滞在される御父様だと思う。食口が御父様の内面を尋ねるのでなければ、どこの誰が尋ねて、お慰めして差し上げたいと思えるだろう。

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