2011年5月6日金曜日
ルツ記
ルツ記は旧約聖書の中で最も短い書だ。飢饉のためにベツレヘムからモアブの地に移り住んだエリメレクの家族は、二人の息子を失い、更に夫をも失ってしまい、そうしてナオミと息子の妻ルツだけが残る。聖書解釈では困難な中で生き延びる姑と嫁のお手本的な話だという解釈が最も多い。古今を問わず嫁姑間の問題は必ずと言っていいほどに起こってくる。嫁を思い遣った義母ナオミの説得にも関わらず、健気にエリメレク家の人間として最後まで務める意志を差し出した嫁の鏡だと評され、嫁の手本として広くルツ記とルツの名は知られているけれど、勿論その要素もあるにはあるが、決してそれだけのことで旧約聖書に載せられたわけではないだろう。聖書の記述で一貫しているのは、人類始祖以降、誰それの息子誰ベエ、その息子誰男、というようにイエス様までの血脈(ナタン系、ソロモン系と分かれることはここでは触れない)をずっと記していることだ。選民イスラエル民族の血統の重要性が聖書全般に貫かれている。天皇家の万世一系を謳う我が国日本は、連綿と続いている天皇家の血筋に日本人としての根源があるのであって、それを否定して更なる根源に繋がる術があるのならそれも善しとされるのかも知れないが、他の思想のいいとこ取りをして表面的気分で否定するだけなら、痛い目に合うどころか恐ろしい目に合うだろう。祝福の血統は言うに及ばないが、この世に於いても民族の根源である血統は私という存在の存在意義でもある。今の日本人はそれをわかっていない。天皇を否定することは日本人である私を否定することだ。異邦人であるルツは選民イスラエルの重要性を霊的に把握させられている。ルツがどういう背後の関係で霊的認識にいたったのかは定かではないが、姑ナオミの嫁への計らいも深いものがあったと察せられる。選民の一族の血脈を途絶えさせない為、姑ナオミと一体化し、姑ナオミの願いに犠牲的に応えている。そしてナオミの願いのままにエリメレクの一族にあたるボアズに貰い受けられてオベデを産んでいる。オベデからエッサイが、エッサイからダビデ、そしてダビデからイエス様までの血統が、異邦人であったルツの想いが犠牲的に投入されたことで繋がれていく。自分の国に帰るように姑ナオミに説得されたときのルツの返した言葉が、どうしてルツ記が聖書に加えられたのか、その意味を最もよく示している。あなたの行かれるところへ私も行き、あなたの住まわれるところへ私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。化学反応に触媒の役割が大きいように、血統圏のなかに異邦人がどういう役割を供えているか、メシヤに繋げる大きな役目を果たしたルツの精誠が、内的霊的に、更に感情に於いてどのようなものであったか尋ねることは、御父様が私達に願われる精誠の在り方や意味を知る大きな手掛かりになるはずだ。
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