2011年5月19日木曜日

今日の想い 309

復帰された70年代、よく言えば純粋で一途であるけれど、悪く言えば近視眼的で思慮の無い者たちが食口のうちの殆どだった。勿論私もそのひとりではある。私も三年も経たずに天国は出来ると本当に信じていたのだから確かにおめでたい。その当時、み言葉で言う天国の概念をどれほど理解していたのか怪しいものだが、それは今でも大して変わらないのかもしれない。天国はそのうちにやってくるものだと思っていて、だから待っているし探している。産んだ子供を抱く時、抱きかかえて授乳する時、女性は幸せの境地に入るという。漠然とした天国の認識より、こういった受け取る感情こそが実感として天国を捉えている。男性である私は想像の域でしかないが、それでも人生のうちで最も至福に至る時だというのは容易に納得できる。私自身も産まれた子を手渡されて始めて抱いたとき、柔らかくて暖かくて弱弱しく、保護を全面的に私に委ねている存在に対して、私の内から溢れる感情の何とも言い表せないその時の体験をいつでも内面に思い起こすことができる。この胸とこの手にその重みと感触を、この目とこの耳に動きと産声を、この鼻の奥に匂いを、少しの狂いも無く刻まれていて、いつでも思い起こすことができる。思い起こすたびに涙が流れ、暖かいものが込み上げてくる。愛する存在を包み込む時、愛する存在に与える時、その時に味わう感情こそが天国の気分に違いない。息子を抱き、娘を抱いたその時の感情のままに、家庭を包み、周囲の環境を包み、自然万物を包み、世界を包むなら、それは天国とは言えないだろうか。今日一日の全ての触れる存在に対して、全ての些細な出来事までも、その感情で包み込めば、愛の言葉を返し愛の花を咲かせるだろう。天国はどこかにあって探すものではなく、天国は私から築くものだと、受け取る愛、与える愛を見届けながら愛の花として咲かせることだと認識し始めている。

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