2011年5月7日土曜日

今日の想い 304

朝任地に下ろされて、小便するよりも何よりも先ず三軒飛び込むことがその日の勝敗を決定する。先ず気持ちを整え決意する為にお祈りでもして、等と思っているとついつい時間を奪われ、そのうちに気勢も奪われてしまう。お祈りは飛び込みながらでも出来る。お祈りするために人気の無いところを探していたら、探しまわっているうちにヤル気は失せて、そのまま一日を終えたことも度々あるし、先ず用を足してからと思っていると用を足しながらヤル気も流れ出てしまうようで、その後一日中公園のベンチに腰掛けてボーっとして終えたことも度々ある。何とも基準の低い話ではあるが自分の基準はその程度だ。でも高校を卒業してすぐ献身し、やる事と言えば万物復帰ばかり毎日明け暮れていたので、こうするとこうなると言う大体のコツはわかっていた。何年経っても同じことが延々と繰り返された為にさすがに疲れ、全国の流れが経済復帰になだれ込む頃には心霊の枯渇が表面化してきていた。しかしいつまでも戸を叩いて訪ね続けるのがみ旨だと思っていたのが、いつの間にか向こうから訪ねられる立場になっていた。レストランはこちらから訪ねるのではなく、向こうから人が訪ねてくれる歩みだ。だから相当の決意を備えて飛び込まなくても、どんなに心霊が下がっていても有難いことに向こうから訪ねてくれる。やっていることは変わっても、やはり万物復帰で鍛えられたセンス(?)とコツはレストランでも十分活かされていると思う。レストラン業務は毎日夜遅くまで続き、零時を越えて終えることも珍しくないのだが、だからといって日が十分昇った頃に起き出せばその日は奪われてしまう。朝を制する者がその日を制するのであり、いろんな知恵も気付きも運勢の流れも、朝を奪われたら奪われてしまうように思う。人事を戴いたら三日のうちに動くという鉄則も実に的を得ている。時間が経てば経つほどに、幾らでも心の隙間から歩みを妨害する思考や感情が入り込んできて、見る見るうちに意志を殺がれて意志する魂は抜け殻にされてしまう。だから命を受けたその一瞬を奪われないように、日々の歩みで訓練しておくことだ。いつどのような形で御父様の直接の命が下されるやも知れない。死ねと言われれば死ぬ覚悟を一瞬で差し出す私になれるかどうかが、御父様と出会い祝福の血統圏に入れて戴いたことが実り、み旨で苦労したことが報われる天国と、結局は正しい出会いが成せなかった結論を出さざるを得ない地獄との狭間に立たされることになる。2013年のD-DAYを、兄弟達はどう想像しているのかわからないが、相当の覚悟を迫られるものであると自覚しておいたほうがいい。鶏が鳴く前に三度否定してしまったペテロの位置を復帰し、罪を犯しても最後にはイエス様を庇ってイエス様と共に逝った右の強盗を越えて余りある決意と覚悟を差し出す統一食口になるべきだ。

0 件のコメント: