2011年5月20日金曜日

今日の想い 310

世界会長御夫妻がどれだけ日本食口を証して下さることか。日本食口にとってその言葉がどれほどありがたいか、そしてありがたくもどれほど申し訳ないか、日本食口全体としてはそうなのかも知れないが、その中のひとりである私はその言葉を戴くにはあまりにも負債が多い。そして甘い水のようなその言葉が私の魂に染み入り、その味を覚えてしまって、もはや苦い水を受け付けようとはしないかも知れない。私は私の弱さを誰よりもよく知っている。もっともっと否定され、もっともっと自分を修めなければ、私の魂の弱みが直ぐにも顔を出す。だから手放しで賛美される言葉は、ありがたく戴いたその場できっぱりと忘れて、使命に生きる私を直ぐにも立て直さなければならない。どれほどお褒めの言葉を戴こうとも、道半ばであることは変わりないし、今までにも増して手綱を締めなおして取り掛からねばならないと更なる決意と覚悟を供えることだ。御父様は日本食口のことをよくよく知っておられる。我々を前にして話されるとき、大方は身が縮まって消え入りそうなほど責められるし覚悟と決意を迫られる。その合間合間にポロリと、押さえ切れない親心としての慰めの言葉を言葉少なに口にされるけれど、本心を垣間見せたことを悔いるように更に拍車をかけて責められるし迫られる。我々にすれば恐ろしい御父様が当然なのだ。恐ろしい御父様でなければ自分を追い遣ってここまで来ることは無かっただろう。私達の前で優しく慰労の言葉をかけられて話を終わる御父様であるなら、御心を図りかねてかえって気味悪いかもしれない。しかし世界会長から賛美の言葉を戴けるということは、それを受けても讒訴される条件はなくなったと言うことだろう。そこまでの内的基準にとどいていると言うことだろう。もちろん日本食口全体であって、私がその条件を全うしていないことはよくわかっている。日本食口の精誠が御父様に届いていることを証の言葉にのせられ、受け取る私達は更なる精誠を供える意志を差し出さなければ、その言葉を受け取るに相応しくないしその想いを蔑ろにすることになる。その意味では心地よい言葉ほど受け取り方は難しいのかも知れない。

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