2011年5月16日月曜日

今日の想い 306

御子女様たちが御父母様の息子娘であるように、私達も御父母様の息子であり娘だ。血で繋がれた因縁だけが全てであるなら、私達に救いはない。私達の救いは御父母様と呼ぶことができ、血で繋がれた息子娘以上の父子の因縁、親子の因縁を築いて行くことができるところにある。御父母様との関係において、御子女様と私とは地の道理によるなら違いがあるだろう。しかし天の道理によるなら、御子女様も御父母様の息子娘であるように、私達も御父母様の息子娘であることは明白だ。地の道理が主体か天の道理が主体か、或いは地上の道理が主体か霊界の道理が主体かと言うときに、地上の道理は主体的な天の道理の中に含まれるのであり、逆の論理はありえない。だから御父母様と御子女様と私達という三者の遣り取りのなかで、地上的な事での遣り取りなのか霊的な事での遣り取りなのかを混同したまま、その関係性を把握することはできないだろう。だから御父母様が認める私の位置が正しく認識され、正しく内的霊的な目を見開けるようになった分だけ、三者の関係性は把握できる。だから今回の様々な問題も、血で繋がれた因縁に関する道理を霊的な因縁、霊的血で繋がれた因縁(心情因縁)にまで持ち込んで、善悪の判断基準、裁きの道具にしていることが問われていると思う。御子女様に対してカインとアベルの位置を明確にされ、一連の事件を共産主義の横暴だと口にされる御父様の真意を汲み取る必要がある。メシヤ、万王の王、真の父母という言葉は天の言葉だ。特定の食口が御父様のXDAYを考慮してなのか、袂を分かっている方達の誰に付き従うかを準備し行動しているのは、地上の道理に合わせているのであって、そこに天の言葉は無視され天の位置を考慮してもいないし天の道理に従ってもいない。そこには血で繋がれた因縁だけが彼らの救いであり、内的霊的繋がりや生命は存在しないと認めていることになる。こう言うと、御父様が血統を重要視されておられるのを否定するものだと言う者がいるが、そう言うのであるなら私達は血の因縁による堕落の血統から永久に逃れることはできないだろう。祝福の権能すら否定している。教会内の問題は決して喜ばしいことではないし、御父母様の心痛を思えば遣り切れないが、全ての起こる事柄は霊的背後が表面化したものだ。それは私が眺めて気をもむだけに留めるものではなく、私の内面の表れでもあるし私の問題であるなら、この時にこそ御父母様との正しくも深い血の因縁以上の因縁を築くべきだ。正しく準備が為されてこそ正しく2013年を迎えることができ受け入れることができる。

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