2011年5月5日木曜日

今日の想い 303

地球のどこにいても御父母様の御様子を見ることが出来るのは、今の時代の恩恵であるとも言えるし、地球上の全人類が同時的に御父母様の御様子を見れるようにする為に技術が進歩したとも言える。スクリーンに現れる訓読会の様子を見ながら、御父様の霊的御言葉の難解さは、理解するに何とも口惜しい思いがするけれども、御写真では受け取れない御父様の表情を目に出来ることだけでも十分にありがたい。み言葉そのものは非常に大切だけれども、言葉の合間合間にされる仕草や報告を聞かれるときの殆どの動きを止めて集中された様子、時に珍しく暫く言葉を止められて自らに尋ねる風で頷かれる様子、全体を見回される様子や特定の人に問い尋ねられる様子、その瞬間毎に御父様の息づかいを共有し、同じ呼吸同じ心拍数に合わせながら御父様の心情世界に振幅を同調させる。そこに御父様と子である私との一体感が存在する。日々の生活もその一体感、同じ心情圏の中で繰り広げられれば、思いが自分の思いではなく御父様の思いだと感じられる瞬間が度々ある。歩み始めた初期、生き別れた親子のように御写真だけが唯一の親子の手掛かりで御父様が夢に現れるのをひたすら待ち望んだ時期もあったけれど、壇上に立たれる御父様だけではなく、訓読会の御様子や日常の御様子までも触れることが出来る今は、私達はどれほどの恩恵的立場にあるか知れない。まさに生活を共にして歩むことが出来る。しかしその手軽さの反面、御父様を求めて止まない衝動を今の私達と教会は初期と比べて弱めているのも感じる。決して私達が御父母様のステージまで上り詰めたから出会えたのではなく、御父母様が私達のステージまで降りて尋ねてこられたから出会えるのだと言うことを忘れずに、御父様の中の聳え立つ真の愛の意志を受け継ぎたいと思えるようになることだ。仮の出会いではなく、頂上でこそ御父様との本当の出会いが為される。

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