2011年5月17日火曜日

今日の想い 308

大通りに立ち並ぶ街路樹のひとつが、店の真ん前に立っている。ガラスドアの入り口を挟んで前面に大ガラス二枚を張っていて、ちょうど屏風絵を見るように外の景色を中から眺めることができる。店の直ぐ前にある腰ほどの高さの低い垣根の緑が下辺に描かれていて、少し距離を向こう側に隔てて中央に立つ木が左右に広がるように幹や枝をはっているから、上辺にも緑が描かれている格好になっている。日中の日差しの強い間は、視界に捉えながらもさして意識して眺めることもないのだが、早朝で車の通りもなく人影もない頃に、静けさの中で夜明けの光が柔らかく覆うと、大きな一枚の屏風絵を見るようにこのシンメトリーの景色がその存在感を見る者に示す。数年前に帰省したとき、親を連れて安来にある足立美術館に足を延ばしたことがあったが、見事な景色を額縁にはめ込んだように、柔らかな光に浮かび上がる日本庭園を大きな窓枠から望むことができた。そこまでの繊細さはないにしても、夜明けの柔らかな光が新緑の緑を映えさせ、時折吹く風になびかせ躍らせているのを、店の中から愛でることができる。オープンキッチンですしバーも置いており、目一杯テーブルを配置して80席にも満たない小さな店だが、緑溢れるこの前面の景色が客に開放感を与えているし、この景色も客の来店動機のひとつになっているはずだ。25年前の開店当初は、日本らしさを表わす為に障子スクリーンを張っていて外の景色は殆ど見えなかったが、今は内装もシンプルだけれども開放的な前面をうまく取り込んでいて、ここに寝泊りしたいと思うほど安らぐ。つくづく祝福を受けた御父様の店だなあと担当して二十年が過ぎた今でも思う。諸般の事情で御父様の願いに応えられず、縮小に縮小を重ねてきたレストランだが、残ったレストランだけでも力を合わせて御父様の願いに応えていくべきだ。今まで我知らず日本の食文化を広げる役割をしてきたことになるが、御父様の願いに応えようとするなら心情文化の担い手になり、真の愛が香り、真の愛を食させる店を展開していきたいと今一度奮起して思うべきだろう。このだろうという曖昧な表現に見るように、私の揺れていて定まらない内情があり、今の時点では現実問題として山積するリスクの方がみ旨への想いを超えてしまっている。店の後方の座席に座って、前面の屏風景色を眺めながら、み旨への思考を巡らす。早朝のこの習慣を私は霊界ミーティングだと思っている。この霊界ミーティングで今までの難局も乗り越えてこれた。これからも必ず知恵と力を与えられるだろうし、何とかして御父様の願いを形にしていきたい。

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