2011年12月12日月曜日

良心革命

良心は父母に優り、良心は師に優る。ここまでであれば頷いて聞ける範囲だけれども、御父様が三番目に言われる良心は神様に優るというのは、宗教者にして見れば聞き捨てならない言葉だろう。おそらくそんな言葉が出てくること事態予期していないので、反論はおろか呆気に取られて開いた口が塞がらないほどの衝撃的な言葉に違いない。そんな意味でも御父様は宗教を超えていて、超宗教超科学の位置に立っておられる。御父様が今日までの歩みで勝利を築いてこられたのは良心の故であり、良心の声に従うことで難しくも複雑な御父様の使命的歩みを越えてこられた。御父様が御自身の歩みで身を持って実証した哲学として、この三大主体思想、特に三つ目の良心は神様に優るというのを断言しておられる。御父様は真理を見出される過程で神様も最初は否定されたと言うようなことを話しておられる。サタンはおろか神様までも否定される真実を、それでも敢えて真実であると神様に迫ることができたのはどうしてか。神様に否定されても迫ると言うのは普通に考えればおかしい。しかし御父様の良心が否定されて引き下がることを許さなかったのであり、そこには御父様の良心の声に従う姿が如実に見えて、良心は神様に優るという言葉を私に十分納得させる。勿論あくまで良心基準が立った者が言える言葉であって、自分の中に主体的な良心をはっきりと見出して立たずには、良心的な気分をして良心とは言えない。御父様の良心革命という言葉には、革命という言葉をして、良心的な気分ではなく明確な良心を見出せという天の指示を私達に示しておられる。人間としてこの地上に生まれた以上、私が果たすべき公的な使命を担って生まれている。私の良心はその使命を知っていて良心に問えば分かるし、良心は使命完遂の羅針盤でもある。私という船は良心という羅針盤をして目的地である使命完成に向かっている。

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