2011年12月15日木曜日
万王の王
イエス様が地上に来られた意味、十字架の摂理が為された意味、そして復活の摂理へと繋がれた意味を、その当時は殆ど理解されてはいない。理解の為にどれだけの時間が必要とされたかというと、再臨の時までの2000年の期間であり、この間の苦悶の歴史が理解する為に必要だった。今の私達食口が、御父様を真の父母だと理解する同じ基準を人類全てに願いはしても、それには段階があることを踏まえなければならない。イエス様当時、イエス様を理解するその理解の仕方にやはり段階があった。ひとつは弟子達の理解であり、弟子達はイエス様を神の子として理解していたが、その同じ基準をユダヤ人全体に求めることは為されなかった。ユダヤ人全体の理解として求められたのは、ダビデの家系から出てくるユダヤの王、救世主(メシヤ)としての理解だった。これがイエス様を一段低く、裾野を広めて理解する第二の段階だ。そして更に一段低く、裾野を世界的に広めて理解する第三の理解の基準があったはずだが、イエス様を十字架につけてしまい世界的裾野にまで至らなかったので復活に拠る霊的摂理に負わざるを得なかった。ローマを制すれば世界を制すとあるように当時ローマは事実上の世界そのものだった。イエス様がローマの王として立たれれば再臨の摂理へと延長されることはなかったはずだが、唯一ローマとの関わりは裁きの場での総督ピラトとの対面に限られている。御父様の理解に於ける現代の段階は、ひとつは祝福中心家庭の理解である真の父母としての理解であり、第二はキリスト教を中心とする宗教界の理解である再臨主、救い主としての理解、そしで第三は人類としての世界に裾野を広めた理解として万王の王という言葉を使っておられる。大統領であろうが国家主席であろうが国家権力を握った王に違いはない。今は国家間の相互関係なしには国家の維持はできないが、もはや今の国家相互システムは立ち行かなくなっている。辛うじてその体を維持しているとも思われるが、皮膚の下の国家経済、世界経済という血流は薄められすぎて既に役立たずだ。ファンドによる莫大な量的回転で誤魔化されているだけで、何かの加減でストップすれば一瞬で世界経済は倒れてしまう。その危機的状況を味わう時、世界を収拾する存在を世界は求めざるを得ないし、その時万王の王という言葉は世界を駆け巡っていく。
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