2011年12月13日火曜日

心情を中心とした感情世界

百花繚乱という表現があるが、思春期の感情世界はまさに色とりどりの花々が咲き乱れる。特に相対の性である異性への関心が深まるにつれて、感情の花々は色濃く咲きその芳香を強く漂わせる。誰もがその花々に埋もれて魅惑の色に染まり、その香りに酔いたいという衝動にかられてしまう。若者達が耳にする多くの歌は、その殆どが色彩や香り溢れる、異性への想いとしての感情の花々が咲く歌だ。淡い色の歌もあり原色に近い激しい恋の歌もある。切なくも甘酸っぱい恋の歌もあれば妖艶な色香漂う歌もある。その現実的な魅惑を前にして、すくなくとも感情を刺激するものではなかった、味気なさの漂う感情世界の背後にあるものを求めようとするのは、変わり者になれと言うに等しい。確かに私達食口は、自分を見ても周りを見ても変わり者の集まりだった。一世たちは変わり者の集まりだとしても、二世たちはそうはいかない。変わり者であれば感情世界を無視して、容易に霊的なものへの価値を見出そうとするだろう。しかし心情の味わいは感情世界に於いて花開くものであり、感情世界を無視し否定するなら地上的生命を受け取る意味は無いはずだ。天使世界を創造されればそれで済むことだろう。サタンを中心とした堕落した感情世界が問題であって、本来の神様を中心とした感情世界は、堕落的なそれとは比べ物にならない多様性と広がりが色彩に於いても、香りに於いても見られるはずだ。真のアダムに接木して血統転換することで、堕落人間に抜け落ちていた内的霊的感性を芽生えさせ、堕落的な感情世界ではない新たな感情世界が、神様に直結する心情を中心として花開くのは当然だ。根源の違う二世たちであれば、その秘めたる自らの使命を明らかにしながら、心情文化、統一文化への貢献をきっと為していってくれるに違いない。堕落的な感情世界を大きく包み込みながら昇華させて、誰もがその新しい色彩と芳香に新鮮さと神聖さを感じ、ミツバチが群がるように吸い寄せられてくるだろう。やもすれば一世は二世たちの触れるもの全てに、神経を擦り減らすことしきりだけれど、確かに堕落的なものが全ての触れるものに混入されているから心配もするが、それでも彼らを信じて任せることも一世の責任だ。堕落的感情世界に引き込まれて妥協するのではなく、既存の世界から引き出して真の愛が関与する文化に昇華させる力を二世たちは与えられている。

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