2012年9月19日水曜日

今日の想い 455

手術は腹腔鏡手術だったので、体への負担は少なかったけれども、それでも腹の中をいじられ、切り取られたのであればそれなりのストレスは溜まっていたのだろう。訪韓の数日前から赤い発疹が足首や手首に現れ始めてたいそう痛痒く、その部位に留まらずに次第に全身に広がっていった。痒みと痛み、そして熱を伴った発疹が、まるで生きているかのように全身を移動していく。気色悪い言い方だが、皮膚の下に小さな蛆虫が湧いて蠢(うごめ)き、群れをなして移動していると言った表現が当たっている。発疹は耳や首の後ろの方にまで広がって赤く腫れていたが、幸いにも顔だけは護られていて、赤ら顔程度で済んでいたので聖和式に臨むことはできた。まだ少し傷口も痛いし体もだるい。更に移動のバスが私には随分寒くて風邪を引いてしまい、熱っぽい状態のままだったがスケジュールだけは何とかこなした。私は何を悟るべきで何をすべきか。体調がこんな状態だと思いは嫌でもそこに向かう。他でもない御父様の最後の時に合わせる様に手術を受け、副作用的に合併症状を負わされるのも、何かの意味があってのことだろうがそれを悟れないのであればただの苦痛以外のなにものでもない。しかし私に気付きを与えたのも、また悔い改めの深みに導いたのも、やはり日本の食口の状況を目にし、耳にしたからだった。妻は私以上に行ける状態だとは思えなかった。強度の貧血で人には分からないようななだらかなスロープでさえも、足を進めるのは大変だし、普通に歩いても赤子が歩くよりのろい。腎臓で作られる疲労物質を除去するホルモンが不足していて少しの動きで寝込んでしまう。移動も大変だろうし、行って人でゴッタ返すウネリに呑まれて死を見るかも知れないとも思ったが、本人が行きたいというのに駄目だとはどうしても言えなかった。今回行かなかったら後悔すると思ったのだろう。いろんな状況だけは説明して、それでも行くというので私も腹を決めた。疫病神に憑かれた夫婦の聖和行脚が、本当に精誠に数えられるのかどうかも、出発の折には分からなかった。