2012年9月27日木曜日

基元節に向かって

私達は、御父様が聖和されてすぐにも、それぞれが信じるところの統一信仰の根源にメスを入れなければならなくなった。皆が同じ信仰のように思っているが、それぞれの信仰観は異なる。御父様は絶対信仰を強調されたが、それぞれはそれぞれの異なる信仰観の完成を絶対信仰と捉えていて、そうであればそれぞれはますます相容れなくなる。信じて義とされる時代を経て侍って義とされる時代を生きているのであり、信仰と言う以上信じるという悟性に立っている訳だが、侍る為には悟性を超えた意識、侍ることを第一義として、侍るに合わせて悟性段階での信仰を修正しなければならないだろう。絶対愛、絶対信仰、絶対服従だが、未だ真の愛の感性を備えていないならば、絶対愛は絶対信仰の土台に立つべきであり、その絶対信仰は絶対服従の土台に築くべきだろう。御父様が絶対服従が何よりも重要だと言われたように、今私達が試されているのは、自分が思うところの愛を超え、自分が信じた信仰を超え、御父母様に対する絶対服従だ。絶対服従をもって信仰は立て直せばいい。それが反社会的な危険な臭いを醸し出すもののように感じるかも知れないが、堕落的なものを根底に置いている社会は崩れ国も崩れ世界も崩れるし、具体的な足場である陸地も崩れるかも知れない。結局残るのは真の父母とその血統圏と祝福圏だけだ。社会も国も世界も、未だに形を為しているのが不思議なほどに矛盾を抱えており、蝶の羽ばたきで一瞬に崩れ去るだろう。基元節までに我々統一家はあらゆる角度から熱い鉄を打つように打ち直され、打ち直されてその準備を備えた者だけが残って基元節を超えて前進することができる。御父様が基元節をD-DAY(戦闘開始)と言われた恐ろしいほどの意味を、知って胸に刻んで立ち向かわなければならない。