2012年9月1日土曜日

今日の想い 446

昼過ぎから腹の苦りが少し気になっていたが、差ほど気にはしなかった。しかし夕方家に帰って腰を下ろすと、急激な腹痛が襲ってきて、時間を経るごとに痛みは増してくる。激しい痛みに呼吸も儘ならず、全身から汗が吹き出る。ただ事ではない体の異変に、娘に至急911に連絡させた。その間痛みが治まってきたらどう返答しようかとも思ったが、そんな心配はどうでもいいほど痛みは更に激しさを増していった。程なくけたたましいサイレンが近付いてきて、音が止んでドアのチャイムが鳴った。娘が駆け寄ってドアを開けると、5,6人の男が作業靴を履いたまま押し入ってきた。痛みに蹲っている私に対して、こんな時でさえもHow are you?と笑顔で声をかけるところがアメリカらしい。声も出ない私に代わって娘が返答をし、担架に乗せられてエマージェンシーに運び込まれた。英語の達者な娘が手続きを済ませてくれ体の状態を説明すると間もなく、点滴に痛み止めの薬だと思うが流し込められ、目が途端に回り始め、そしてそのまま目の回る渦に巻き込まれて眠りの深みに落ちていった。御父様が大変なこの時に、その大変さの程度は天と地との違いはあるものの、同じように病室に臥せっていることが不思議だった。一日置いて手術することになったのだが、私はこの流れで何処までも御父様と同じ状況にあることを願うのかどうかを尋ねられた。ひょっとしたら麻酔をかけられて、そのまま目覚めることはないのかも知れないと思った。はっきり言って、最悪の場合までも請い願う私ではなかった。しかし御意であればどうなってもかまわないとは思えた。麻酔をかけられる前、準備はどうかと聞かれたドクターに対して、好きなようにして下さいと伝えておそらくドクターは冗談と受け取っただろうが、私は天に対して申し沿えた言葉だった。それが御父様を慕い侍る圏内にあるのかどうか、今の自分にはわからない。今の自分にはわからないが、それはどうでもいいことだ。何よりも御父様の御復帰を願うことの方が大切だ。手術を終えて麻酔から覚めたとき、何故か私は御父様が奇跡的に復帰されることを確信していた。そして皆の確信的信仰こそが現実化することをどうしても伝えたいと思った。ひょっとしたらという一ミリの疑念も抱くことなく、御復帰を確信することだ。