2012年9月6日木曜日

今日の想い 451

あまりにも突然だった。TIMESのネットニュースの情報を妻から知らされたとき、まさか、と言う言葉しか浮かんでこなかった。シカゴでライブ説教をされる御子女様の、私達への祈りと精誠のお願いを聞いたばかりだった。手術で入院していたので店の買い物やら準備やら掃除やら忙しく、一通り仕事を終えて、手伝ってくれた娘や妻に店に残った材料で昼飯を作って食べさせていた、時間的には丁度その頃だったはずだ。御父様は随分と寿司がお好きで、下手な料理の腕を緊張で震わせながら握ったことが何度もあって、娘と妻が美味しそうに食べているのを見ながらそんなことを思い出していた。トロにサーモン、エビにヒラマサ、そしてウニやイクラも、、。御歳を召されてから脂濃いトロは避けられ始めたが、上品な御母様の食べ方と比べて、いつもお寿司だけは豪快に口に運ばれていた。次々と御付の方達の要求に応えるために、なかなか御食事されておられるところをじっくりと拝見するわけにはいかなかったが、食器の下がり方を見るとそんな御父様の様子が窺えた。御要請がある毎に、何をお出ししようか死ぬほど悩んだが、やはりいつもお寿司だけは抜くことはできなかった。娘と妻に握って出しながら、先ず御父様に作って差し上げるべきだろうと思ったが、思ったのではなく思わされたに違いない。私と御父様の地上の接点は、私に声をかけられたことでも御小遣いを戴いたことでもなく、やはりお寿司だ。お寿司を介して地上での御父様と地上での私は繋がれていた。だから今御父様のことを回想するとき、その思い出は赤や黄色や橙の寿司の色鮮やかさに染まっている。私の中ではその色鮮やかさがいつまでも褪(あ)せずにいて、とても御父様が召されたとは思えないでいる。その色鮮やかさが活きていて、暖かい色は優しく声をかけて頂いた御父様の笑顔を呼び起こし、赤い色はドジをして気分を害され、視線を私から逸らせた横顔を呼び起こし、そして黄色い色は、御父様の後ろからメニューの説明をしたとき、座って背を丸めて拙い私の説明を聞かれる御父様の後姿を呼び起こす。そのとき、御父様は御歳を召されて随分小さくなられたという印象が拭えなかった。いろんな情景が今そこにあるかのように寿司の色合いと共に思い出される。店舗で実績が出ずに魚の部署に飛ばされたけれども、アメリカに来たものの上司と折り合いが悪くて寿司を握る羽目になったけれども、どう言う訳か御父様との地上的縁は流れて行き着いたお寿司だった。私が地上にいて、この店にいる限りは、祭壇の御父様に御寿司を握って差し上げる。