2012年9月2日日曜日

今日の想い 449

太陽があり、水星があって、金星があって、そして月があって地球がある。地球は母なる地球であり宇宙体の胎だ。宇宙広しと言えども、人間はこの地球でこそ産まれ、存在し、そして繁殖する。よって霊界に存在する全ての霊人の繁殖も、霊界ではなく地上でこそ為される。地球が母であれば父は太陽神としての太陽だ。人類が堕落したという意味は宇宙の胎の中で正しく成長できないということ。本来なら地球の胎を抜け出れば、すなわち死を持って霊界への産道を潜り抜ければ新たな生命宇宙体として天空に輝く煌く恒星として、それは生命宇宙体の象徴的なものとして地上の目に写るものだが、別様の時間と空間を創造して別様の宇宙として存在する。しかし堕落の血統のままで死の門を潜るなら、恒星になれないまま死産とならざるを得ない。宇宙の胎の中で正しく成長できる為に、先ず胎を穢れのないものとし、太陽神の正しい精子を戴いて、太陽神と新生地球との結婚が執り行われてこそ、私達は本来の祝福に預かることができる。その宇宙秘儀、天宙儀式が御父母様の体をして執り行われる。御父様はメルキゼデクという人物の話を重要人物として訓読会の中で触れられたことがある。サレムの王(祭司王)メルキゼデクは、アブラハムをパンとぶどう酒とを持って祝福した。実はこの瞬間こそがアブラハムが太陽神の秘儀を受け取り、外へのみ向けられていた神を霊視しようとする能力を、己の内に向け内なる神意識を出発させた最初の人物となった。アブラハムを出発点とするユダヤ民族の道は、アブラハムが内なる神として宿した太陽神が、自分の失ったものを取り戻す為に、もと来た道を取って返す道だ。もと来た道は月に帰り、地球の後に太陽から地球に向けて渡し橋として出された金星をへて、そして水星をへて、そして太陽に帰る道。月に帰る道はモーセと引き継がれたヨシュアの道であったし、金星への道はダビデ王の道であったし、そして水星をへて太陽に帰り太陽神としての精子を受け取る道。御父様が口にされた、古い民話の月よ、月よ、と言うのは、御父様御自信の懐かしさと同時に、太陽神の失ったもののひとつを月に帰ることで受け取る歌でもある。御父様は月に帰られ、金星に拠られて王冠を受け取り、いまバビロン捕囚をもって水星に拠られて神の秘儀を受け取られ、そして基元節で神様の精子を受け取られる。