2012年9月8日土曜日
今日の想い 453
地上という感覚世界の状況は、私という主体がいて対象物、対象の事柄を把握するようになっている。私という唯一の視点から眺めて把握している。しかし霊界という心情世界の状況は感覚世界とは反転しており、私は主体ではなくて対象存在であり、地上では私の内面世界であったものが霊界という外界に広がり、神様の様々な視点や観点から眺めている。そしてその視点は、大きく組み分けすると12の視点から眺めている。だから内的霊的な事柄に関しては、同じ事柄でも別の視点から見れば別の姿を現す。12の視点から眺めたものを総合的に判断して、その霊的事柄を把握するのが真実に近い。み言葉が以前語られたものと、そして後に語られたものが異なっていて矛盾を覚えるとしても、それはおそらく別の側面から語られているのではないかと考える方が正しい。私という一つの視点から理解して把握したものと異なると否定するのは、霊的に見れば大きな判断ミスに繋がる。実際、神様も宇宙も人の視点観点を基準にして動いているのではない。誰かが一定の視点観点に固執してしまうと、宇宙の摂理がこの間に先に進展してしまい、進化から取り残されることになる。御父様は聖和されても、御父様が偏在される宇宙は止まらず、御父様のみ旨への意志に貫かれてますますその進化を増していくだろう。み言葉を私という唯一の視点からだけ理解していると言ってそこに留まったままでいると、宇宙(御父様)に取り残されていき、宇宙(御父様)と共に進化し続ける真の食口達と相反するようになるだろう。進化する宇宙は明らかに進化する者達の側に立っている。グループの者達の、その頭脳明晰さ故の落とし穴に嵌ってしまったのを見ると、御父様もみ言葉も霊的な位置であり内容であるのに、私の判断という一つの視点観点からのみを宛がえていて、12の視点を完全に無視してしまっている。彼らには、御父様の全体像も、霊界状況も正しく把握できず、ますます宇宙の進化からは取り残されていく運命にある。