2012年9月23日日曜日

今日の想い 460

世界会長がアメリカの兼任もされると決められて、早速訪米された。昨晩は三時間以上にわたって兄弟からの質問に答えておられたが、直接的な質問に対して説明に十分気を使っておられるようだった。中には責めるような言葉で心無いものもあってこの場でどうなのかと思ったが、それより私が気になったのは質問者が会長と皆の前で話したいだけというものが大方だったということだ。集まった兄弟達は本人の感想や説教じみた話を聞かされるより、もっと世界会長の言葉を聞きたかっただろう。こんな事件が、更にこんな時に、わざわざ今のこの時と状況を選んで合わせたように表面化したということに注目せざるを得ない。状況はそうならざるを得なかったどんな説明を聞いたとしてもそれでどうなるものでもない。我々の一体化への影響、二世への影響、対社会的な影響は心配せざるを得ないけれど、周りが状況を詮索し過ぎて野次馬的になったり自分なりの判断を宛がえたりすべきではなく、全ては本人と御母様との間でなされるのを見守るのみだ。公的位置にあった立場であれば、御本人から皆に話したいことがあるのではないかと私は思っているが、触れたくないのであればそれはそれで受け入れるべきだ。状況自体はあり得ることだからと自分を無理やり納得させるとしても、しかしどうしてこの時にと言うことに関しては私達はよくよく祈らなければならないと思う。霊界を知った立場で、たまたま偶発的にという言葉は私の辞書にはないし、すべてに時があり、すべての時と時が合わせられる。何が飛び出してもおかしくないここ一年前後だが、誰もが、起こる事柄と私とは因果関係はなく今回も自分に降って湧いたものを被らざるを得ない被害者として認識しているようだが、世界で起こる事柄も私の内面世界と繋がっており、更にコアな部分である教会や真の御家庭に起こる事柄も、私の内面世界の中心的課題とリンクしている。決して他人事の話しではない。敢えて言えば私の罪がそうさせていると言える。分立問題も、御父様がこの時期聖和されたことも、そして今回の問題も、更に表面化するであろう事柄も、全ては私の内面的在り様が表面化して、それをどう次元を上げて解決していくかをもって内的霊的なものが整理され恨みが晴らされていく。