2013年12月22日日曜日
今日の想い 680
何をするにしても片手間で為せるようなものは一つもない。一つの事柄に100%投入して、それでも結果として満足いくものかどうかはわからない。ましてやこれも手を付けあれも手を付けでは意識も力も分散して、結局尊い時間だけを無暗に消費することになる。私達には多くの事柄が願われていることは確かだ。天国建設の為に献金もしなければならない、伝道もしなければならない、氏族復帰もしなければならない、社会で頭角も現わさなければならない、しなければならないことは山のようにある。しかし、今まで兎に角抱えるだけは抱えて歩んできたけれども、30年、40年を費やして何を残しただろうか。私達はいい加減白昼夢から覚めて、具体的歩みに関しては蛇のように賢くあるべきだ。願われるものが山ほどある、という事と、成し遂げる為には一つの事柄に100%投入しなければならない、という事と、その逆説とも言うべき両者をどう成り立たせるのか。一つの事柄に100%投入しなければならないけれども、実は残りの事を捨てる必要は無い。この世でも成功者と言える人々は意識分散型ではなく意識集中型なのは間違いないが、一つの事柄に集中する過程で別の事柄も手中に収めている。ようするに自分の優先的願い、優先的使命が何なのかを把握し、その願いを全うする過程で他の願いも手中に収めていく。自分の事は見通せなくても他の人の事は客観的に見れる。共に歩む兄弟達を見ながら気付かされたことがある。或る一人の素直で信仰的な兄弟がいて、店の事も或る程度任せることができ、それなりの位置も与えたしそれなりの給与も与えた。店の事をこれから責任を持ってもらおうとした矢先に、氏族復帰の為に辞めて日本で歩むと告げられた。他の兄弟と同じように、彼にとっても店は働く場ではあるけれども100%投入すべき使命の本筋ではなかった。私のようにこの店が死ねば私も死ぬと言えるほど思い入れを持ってはいなかった。彼の氏族復帰への決意を否定している訳ではない。彼が100%投入すべきものがそこにあると言うのであれば、祝福して送り出して上げたい。しかし彼もまた来ては去っていく一人の従業員に過ぎなかったという寂しさは拭えない。私の気持ちなどどうでもいいが、彼が決意した以上、ここでの結論が雇われ従業員だったと同じように、新しい歩みでも同じように雇われ氏族復帰、雇われ伝道、にならないようにと祈るばかりだ。彼の私への宣告で私は決意を迫られる。私はカインとしての本筋を更に極めて行く。
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