2013年12月16日月曜日

今日の想い 677

特定秘密保護法案については十分な論議が為されず、国民が疑問や不安を抱えたまま強硬にも採決に踏み切った、と大ブーイングだが、粗探しすることばかり、国民の不安を煽ることばかりに己の存在意義を置いている日本のマスコミこそ、大ブーイングをかけるべきだ。こんな不良マスコミをのさばらして置くことに何の疑問も覚えない日本国民は、日本国としての魂の柱を失っていることにも気付かない、何とも情けない状態になってしまった。今の日本人に国としての精神は宿らないのだろうか。国を憂えるという言葉は死語なのだろうか。自己中心的に生き永らえるだけの蠢く群れに過ぎないと、日本人の誰も思わないのだろうか。自分の死んだ目に気付かないのだろうか。反戦教育、自虐史観、権力は悪という観念、あらゆる欺瞞の中で欺瞞を認識できずに欺瞞の雲を足場だと思っている夢遊病者の群れが日本人の姿だ。そう言った日本人に対して霊的柱、精神的柱になれる存在は日本食口しかいないだろう。献金も忙しい、伝道も忙しい、献金伝道が願いだとそこに全神経を注入する食口のみが食口なのだろうか。国を憂い、国を立てたいと義憤する憂国の志士は食口の中にはいないのだろうか。勇敢にも共産主義者と戦った、あの尊敬の眼差しで仰ぎ見た先輩食口の後継はいないのだろうか。ここアメリカで活動していても私は日本人だ。日本人の精神を持っていればこそ世界人になれるのであって、日本人を捨てて世界人になるのではない。今の日本の状況を知れば知るほど悲しいのを通り越して情けない。反教会メンバーやグループ派はそういった腐った日本のマスコミの在り様をそのまま受け継いだかのように、粗探しに躍起になっている。三行半を押し付けたなら未練がましく嘴(くちばし)を突っ込む必要はないだろうに、正々堂々と我が道を開拓するのに忙しくて別れた相手の動向を気に掛ける暇などないだろうに、それでもやっぱり離れられないらしい。教会のことが気になるらしい。日本のマスコミは心の底では日本が倒れることなどあり得ないという奇妙な信仰を持っていて、その上で国と政府を突きまくる。国民の不安を必要以上に煽いでまで存在意義を認めて欲しいと駄々をこねる。教会反対派だと自認する者達もマスコミと同じで、マスコミが国があってこそ存在できることを無視しているように、反対しようが賛成しようが自分の存在意義がみ言葉をして成り立っていることに彼らは気付いていない。教会が完全に崩れ去るなら、彼らも教会と共に存在を失う。教会がもし崩れ去っても、教会の中に息衝いていた御父母様の精神を相続している者は教会を越えて残っていく。

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