2013年12月5日木曜日
み言葉のみ言葉
御父様の為された多くの宣布大会のうちで、最も大切で重要な宣布大会は「天地人真の父母定着実体み言葉宣布天宙大会」だ。そしてその宣布大会こそ私達が絶対忘れてはならないし、そこで語られたみ言葉こそその意味を最も理解しなければならない、何千回、何万回読んでもまた読んでさらに理解を深めなければならないみ言葉の中のみ言葉だ。そのみ言葉には「人類のための遺言」という項目題名まであり、それは私達が最も重要視している訓読(会)、八大教本教材のことを言っておられるのだが、訓読する上での中心的姿勢をこの宣布大会のみ言葉を通して受け取ることができる。御父様を受け入れない者がみ言葉を読んでも霊的真意を受け取れないように、この宣布大会のみ言葉を中心的姿勢として先ず受け入れなければ、どれほどみ言葉を訓読しても、部分的なみ言葉を示して御父様はこう言っておられると詰め寄っても、天の心情とはずれた、的を外した訓読や指摘になりかねない。そう言う意味でこの宣布大会のみ言葉は、み言葉を学ぶうえでのみ言葉だと言える。「成し遂げられた!」という霊的救援の一言の言葉を残して忽然と逝かれたイエス様。同じように「完成、完結、完了」という実体救援の言葉を残して、やはり忽然と聖和された御父様。イエス様による霊的救いを受けると共に、実体的救いをもたらす再臨主を迎える路程が残されたように、御父母様による実体の救いを受けると共に、実体的救いを国のステージで、さらに世界のステージで実体完成させる路程が私達に残されている。この宣布文を読めば読むほど、基元節を迎える前に、最後の精誠、犠牲を供える、そして聖和されることを既に言い含められたみ言葉のように思えてならない。勝利宣布として輝かしい笑顔で壇上に立たれ、齢九十を越えられたとは思えないほどの力強さと主管力で会場を包み込まれ、しかしその見えない背後に、微塵も素振りを見せることはされなかった決意と覚悟を供えておられた。この宣布大会のみ言葉こそ御父様の全ての核心であり、心情の中の心情だろう。私達は時系列で生きているし、最初に琴線に触れたみ言葉やその時の感情を出発点とし、み旨を歩む動機ともしているけれども、実はこの「天地人真の父母実体み言葉宣布天宙大会」のみ言葉、そしてそこにある心情こそみ旨を歩む動機とし、出発点としなければならない。それは時系列の先祖を私を中心として逆に遡る形で先祖解怨し先祖祝福していったのとリンクしている。混乱を見る食口個人であったり教会であったりするけれども、この宣布大会を最重要視して中心的核に置くことで、解けないものが解けてくる。
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