2013年12月13日金曜日

今日の想い 673

御父様は霊能者ではない。霊能者である必要もないし霊能者であるべきでもない。霊能者は地上から霊界へお伺いを立てる位置であり、預言者は霊界(ここでは高次の霊界、神界)から地上に言葉をもたらす位置に立つ者を言う。預言者かと言えばその部分も持ち合わせておられるが、しかし預言者の位置に立たれる御方ではなく再臨主であられ天地人真の父母であられる。預言者が預言する御方、その御方自身であられる。ましてや霊能者などではない。霊能者は地上の声を霊界に届けてそれ相応の霊的存在にお伺いを立てる訳だが、この霊的存在が実に曲者で、問題を解決させる代わりに霊的生命の部分を差し出す場合が往々にしてある。殆どの霊能者が霊的生命を差し出す形で問題を解決させている。高利貸しみたいなもので、一時問題は解決したように思えても、後々になって返ってより大きな問題を抱えるのが常だ。その意味では清平は特別な場所だと言えるが、清平でさえもそれ相応の精誠が必要であることは皆知っている。前に記したことがあるが、ワシントンに来られた時、ダイニングで御食事を配膳し用意していて二階から御父様が下りてこられた。誰もいないそのダイニングで御父様と私だけで誰もいないという場面に出くわしたわけだが、私が視線を御父様に投げかけると御父様は即座に私から視線を外された。一瞬無視されたようでその事が私の中で暫く尾を引いていたのだが、それは私だからそうされたのではなく、できうる限り誰に対してもそうしておられることを知って安堵した。見ようとすれば背後の霊がいくらでも見えて訴えかけてくるから、敢えて見ないようにして遣り過ごされる。一人一人、そして一つ一つの霊に関わっていれば公的な使命は後回しになってしまう。そしてそれは御自身のこと、御家庭のこと、御氏族のことについても同じように公的使命を常に優先され、自分で自分の安易な道を霊視されて判断するようなことは敢えてされない。霊界を全て御存知の御父様であるのに、恰も未来が見通せないような判断を何故されたのだろうか。失敗するようなマッチングをどうしてされたのだろうか。そんな疑問が湧くのも仕方のないことだとは思うけれども、霊能者のように、それも自分に都合のいいように或る霊的存在と談合して事を進めるような、そんな自己中心的位置に立ってはおられない。あらゆる事柄に対して公的な位置を貫き通された御父様であられた。蕩減路程を公式路程として立たせることが御父様の使命であり、都合が悪いからといって自らの権力でその公式路程を崩されるようなことはただの一度もされなかった。アメリカの黒人イスラム組織の指導者、ルイスファラカン氏への御父様が為された逸話は、アメリカにいる食口なら皆知っているだろう。ファラカン氏に癒しを与えられたのは彼個人として与えられたのではなく、やはり公的な位置で与えられたものだったはずだ。私の知る限りでは御自身にされたことも、御家庭にされたことも、食口に施されたこともない、一度の肉的癒しだと思ったのだが真相はどうだろうか。

0 件のコメント: