2013年12月15日日曜日
今日の想い 676
夫である私がドナー登録して、同じような血液型が合わない生腎移植を願う他の夫婦との間で、血液型がお互いに合えば交換させて移植する、というマッチング移植がある。それも随分考えてみたが、私が差し出す分には何の躊躇もないが、もしどちらかが失敗したときのことを考えるとどうも踏み込めなかった。そして結局カダバー(死体)のドナーを待ち続けること4年に渡った。初回の移植から丸7年かかって今回の移植に漕ぎ着けた。カダバー移植の場合、ドナーの状態で移植後の臓器生存率は大きく変わってくるし、移植後の生活状態も変わってくる。妻の初回の場合、移植を受けられたことは本人も私も十分感謝しているが、すっかり元の元気な姿に戻ったとは言えなかった。最初の3年間透析こそせずに済んだものの、慢性貧血は以前変わらず、腎臓が造る造血ホルモンを補う注射が必要で、取り敢えず生きる為の移植であって生きて何かする為の移植とはならなかった。そうして3年持ち堪え、再度の移植登録が認められる腎機能数値の悪化から4年、合わせて7年間、浅い呼吸を繋ぎながら細々と生きながらえてこの度の恩恵に与った。今回の移植に当たっては、妻も私も初回以上に大きな天の計らいを感ぜずにはいられなかった。ここ2年間、登録の順番が回ってきて、かれこれ10回位の合致ドナー出現の連絡があった。初回の時は2回目の連絡があって決定がなされ、手術に踏み切ったが、今回はなかなか決まらなかった。連絡を受ける時はドナーの腎機能の数値と亡くなられた経緯を伝えられるのだが、こちらはOKであってもセンター側はより合致していてより成功率の高い登録者に宛がうのであり、或いはセンター側はOKでも亡くなられた経緯に問題があったりするとこちらは引かざるをえなかったり、そんなこんなで順番は回って来てもスムーズに行かず、ひょっとしたらもう難しいかも知れないというところまで来ていた。そういう経緯があった後の今回の恩恵は、劇的であり、摂理的であり、霊的であり、更に受胎告知の氏族メシヤ版とも思える出来事だった。ドナーのこともあってここで事細かな詳細は控えるが、私達夫婦にとって、家族に取って、そして氏族に取って、初回を初臨とするなら再臨の出来事と言える全ての転換点をこの移植手術で迎えたことになる。
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