2009年5月17日日曜日

真の父母

創造の歴史は地上に真の父母を現すということで一つの完結を見る。神様が喜びの対象、愛の対象、そして神御自身の実体対象としての存在を得たいが為に気の遠くなるような創造の歴史と復帰の歴史を積み重ねてきた。堕落の結実としてサタンの本性を受け継いだ堕落人間は、この天宙的事件を他人事のように受け取ることしか出来ない。如何なる霊的存在よりも、如何なる万物よりも、そして神様よりもその出現を喜ばなければならない立場に立つべきこそ堕落人間でありながら、そのおぼろげな価値すら見えなくなってしまった。食する事が何よりも大切だと思っている人が、食卓の上に溢れんばかりの御馳走が並べられているのにその価値がわからず、相変わらず塵を摘みながら生き繋いでいるようなものだろう。真の父母が現れることで人類に関する全ての事柄は取り成され解決される。真の父母が全責任を取られた立場であるから、真の父母の取り成しを得ることで全ての人間が堕落依然の状態まで復帰される。勝利された真の父母を頂点とし起源として、堕落の事件から始まるありとあらゆる善悪に分けられた事柄は真の父母を迎える為の必要な出来事として真の父母が認定され、歴史に見る悪の権化の存在も善を際立たせる為の存在であったと認定され、未来への出来事に関しても真の父母故の事柄として取り成される。過去が現在が未来が、時間を超え空間を越えて真の父母が現れた事に完結される。真の父母と口に出して言う事すら恐れ多い人類であり、捨てられて当然の自分に関するあらゆる事柄が真の父母によって始めて、把握され、意味を成し、必要とされる。真の父母によって自分は始めて活きる。この身がどうなろうと、明日にでも地上界が消えて無くなろうと太陽が隠されようと、真の父母の存在が現れたことで全ては善しとされるのだ。真の父母との出会いの接点こそが最重要であり、肉体の生命を繋ぐことなどはそれに比べると影のような事柄だ。生きた真の父母と共に地上にあって息をしている、真の父母が私の中で活動される、この実感の中で受け取る熱いものを一瞬一瞬毎に魂に焼付ける。焼き付けたものこそが、自分の中から照らし出される光として、高次の世界を照らす発光体だ。魂が真の父母の色に染められ、真の父母の言葉で鳴り響き、真の父母の愛に酔いしれる。霊界神界の霊的存在が真の父母にまみえ、真の父母の愛に酔いたいと、真の父母を内在する自分の様相に誘き寄せられる。

3 件のコメント:

松西寿三 さんのコメント...

真の父母に感謝!文鮮明師御夫妻の勝利に感謝!

松西寿三 さんのコメント...

真の父母に感謝!文鮮明師御夫妻の勝利に感謝!

hanamizuki さんのコメント...

松西様のサイトを拝見しながら多くの深い感性を受け取らせて戴いてます。取って付けた様な私の文章と違い、真の父母様への純粋な想いが直接伝わって来ます。