2010年6月8日火曜日

たまに思い出したように基準を下げる

感謝してもしてもし尽くせない立場だと言うことは、よくよくわかっている。それでも心に隙間風が吹き、減少感を覚えてしまう。宛がわれた不運のひとつひとつを数え始める。数えながらも感情では既に生まれついた不運を嘆き神様への不満を表している。落ち着いて少し安堵すると忽ちに、足るを知る心を失い、周りを外的な面でのみ判断してしまい、自分が埋もれている貧相な生活に溜息をつき落ち込んでしまう。望むべきものは別にあるのに、眼が曇ってしまって些細であっても煌びやかな生活と言う幻を追い始めている。二十年以上もこの半地下にあるアパートの一室に住み続けてきた。毎年家賃は上がり続けて入居した当初の倍にまでなってしまった。店のオフィス兼用で使っているため、積み上げられた書類の箱に占領されて倉庫さながらの状態だ。暮れかかる一瞬だけ西日が差し込むだけの、日がな暗いこの部屋で妻は病を患った。この部屋が原因の主なものだとは思わないけれど、それでもこの部屋が恨めしい。リースがそろそろ切れるので、今年こそは運勢のある新居に移れれば移りたいと思った。住宅バブルがはじけた時が移り時だとこの時を待ったが、どういう訳かこの辺りは下がる気配はない。ローンの審査も厳しく、まとまった頭金も必要だ。今の手持ちでは無理だとわかった。わかったけれど、上気していた気持ちを落ち着け整理するのに時間を要している。外的なことを言えば、私自身は何処だって構わない。ただ殆どの時間をここで過ごす妻を思うと、陰ったこの部屋に埋もれて生気を失い、夢や希望の言葉の意味すらわからなくなった生活から彼女を救ってやりたかった。剥くんだ足をさすり続けている妻の、移る話をした時の一瞬の明るい表情を裏切りたくは無かった。明日の朝には今日の憂いが払拭され、朝日のような笑顔で出発しますと挨拶し、今日の一日を締めくくった。

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