2010年6月16日水曜日

愛の主管者となる為に

私はこの店を愛している。今ははっきりとそう言える。愛しているから店もそれなりのものを産み出してくれる。儲けを出して欲しいから愛するという打算的なものではないし、この店を愛しこの店に関わる従業員やお客も愛しているし、机や椅子や鍋や釜、厨房機器に至るまで全てを愛している。店に関わる霊的存在も勿論愛している。しかし、自然に情が行って愛せるようになった訳ではない。他の内輪の店がそうであるように、雇われ店長として人事でこの店を任された訳で、そうであれば一財産を費やして店の立ち上げをするほどの想い入れが最初からあった訳ではない。店にしろ会社にしろ、我が子の様に店や会社を可愛がって愛することが、唯一の商売の成功法と言えば言えるかもしれない。自分はこの店を愛するという意志を先ず強固にすべきだ。この店が上手く行こうが行くまいが、この店と心中する覚悟と決意を供えて、愛する意志を差し出すことだ。愛すると言う言葉を余りにも多く口にしてきたし触れてきた食口は、或る意味愛することの意味と重みを解っていない場合がある。口先だけの曖昧な”つもりの愛”ではなく、或る対象の為の愛の実体を実感する為には、先ず愛せるようになる為の基台が必要なのだ。愛せるようになる為には対象の為に祈らなければならない。祈ることが出来れば愛せるようになるのだけれど、祈りが先ずそう簡単に出来るものではない。出来ない祈りが出来るようになるためには、祈りが出来る為の基盤が必要になる。その基盤として汗を流す行動条件を立てる必要があるのだ。要するに復帰摂理の為の復帰基台摂理と言う様に、愛することが私の血の在り様となる為には、涙の祈りが必要であり、涙の祈りの為には汗を流す行動条件が必要になる。そういった段階をある期間踏んで初めて、私がその対象を愛していると言えるし霊界が公認する愛の主管者となることができる。

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