2010年6月20日日曜日

夏の暑さの中で、熱を考える

容赦ない直射熱が頭上から照りつける。アスファルトが焼け、陽炎が立ち上る。涼しさを覚えるのは朝方のほんの一瞬で、太陽が昇るや否や気温はうなぎのぼりだ。湿度の高さが地上を蒸し器状態にしてしまい、木々の緑もうな垂れている。風でも吹けば幾らか気も落ち着くだろうけれど、無風状態の中で太陽熱に曝されていると苛立ちさえ覚える。汗が吹き出るままで耐えていると、この状態が半日でも続けば恐らく気を病むに違いないと思ってしまう。この時期の太陽は戦闘的だ。直視できない太陽には明らかに強い意志を感じる。何かを焦熱で焼き尽くそうとしている。光が宇宙的な愛の表れであるなら熱は宇宙的な戦闘使命の表れだ。霊的太陽存在の闘士が地上に送り込まれる。或る存在に熱が極度に送り込まれれば、その存在は炎を上げて燃えて尽きる。しかし尽き果てたのではなく、熱と言う霊的闘士が存在を霊的な次元へ昇華させたのだ。熱と言う霊的闘士は新たな次元へ再生復活させる太陽の使者だ。私は夏の暑さに辟易しながらも、この暑さを内面に受け取ることで内的霊的に変革させられるものがあることを知っている。自分の中にあって主管できない魂の癖を矯正させられる。熱の外的な性質のみを観察し、内的霊的なものへ踏み込んで熱の霊的本質を尋ねないのなら、夏は暑いと言う認識のみで、夏の暑さが魂と霊に働きかけるものを見ることはできない。夏の間、地球に降り注がれる太陽熱は、光が届けられない個体的物質の内側へ浸透することで、地球生命体の内的流動、内的溶解を推し進める。様相を変革させられることで宇宙規模の再生準備が為されていく。科学万能を信じる現代人は、温暖化を議論しながら地表への関心に止めているけれど、地球内部に起こっている大変革に気付かないでいる。

0 件のコメント: