2010年6月24日木曜日

MOTHER

MOTHERという最近のドラマがある。初回は見ても、次回の視聴に繋がるドラマは滅多に無い中で、このドラマはぐいぐいと引き込まれるものがあった。内容の無いドラマが多いと言うことは、内容の無い表面的なものさえ繕えばそれで良しとする人生観が社会に蔓延しているということだろう。しかしこのドラマを回を重ねて見ながら、大袈裟かも知れないけれど母の国日本の息吹が、日本人の深層にはしっかりと流れているのが見えた思いがした。いろんな、それぞれの立場の母の強い想いが、見事な設定の中で描かれていて、全ての回の情景の中に母の想いの色とりどりの感情世界、心情世界が、視聴者である自分の母との思い出を踏み台にしながら広がっていく。脚本も、恐らく当人が自分が母から受け取った想いが込められていて、書き下ろしながら母の想いの中に生きながら涙が絶えることは無かったはずだ。母から子への想い、子から母への想い、そこにだけ光を当てて思想的なものも受け狙いも何も無い。視聴しながら涙を流した多くの人々は、枯渇した日本社会にもまだ母の愛、子の愛というオアシスが存在することに気付いたはずだ。少し深く考えて見ると、拉致監禁の問題も御子女様が気に止めて下さってやっと動き始めた。あまりの母の苦労に子が立ち上がったと言うことだろう。アメリカは長子の国ではあるけれど、どれだけ母の国日本に対しての想いがあるだろう。母の苦労と精誠でこそアメリカの摂理も続けてこられたにもかかわらず、しかしアメリカが犠牲になっても母を助けたいという教会の雰囲気も兄弟達の想いも私には感じられない。それが芽生えてこそ母は報われるはずだ。日本の犠牲や精誠の半分でもアメリカが果たすことが出来たなら、摂理は大きく進展していたと思うのは責任者をはじめ多くの食口の感じるところだ。しかし問題の本質はアメリカが母の国日本のアメリカへの想いを受け取ってはいないことだ。日本からアメリカに投入された事に対して、そこに母の想いを見て取ることはない。見れないのか、それとも最初から投入されたものに想い等無いのか、そうであれば本当に母として報われることはないし、これほど悲しいこともない。MOTHERを見ながら、アメリカに投入された母の想いが花を咲かせ実って欲しいと思ったし、誰でもないアメリカに歩む私がそれを為し遂げる使命を仰せつかっているはずだと思わされた。

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