2010年6月11日金曜日

涙を流した時

涙を流した時。可愛がっていた猫が死んだ時。学校から帰ったら、飼っていた猫がトラックに轢かれて死んだと告げられて、仏壇にお参りをして、その夜布団を被って泣いた。嗚咽を抑えて泣いた後、胸の中が空っぽになってすうすう風が吹き込んだ。涙が流れた時。学校で父を笑いものにしているのを聞いた時。みんなは軽い冗談のつもりだったろうけれど、聞いていない振りをしてその横を通り過ぎていって校舎の陰で涙を流した。泣いてはいないはずだと思ったのに、涙がスーッと流れ落ちた。私の中で、誇りに思っていた父が一変に貶められて小さな父に変わってしまった。そして弟と遊んでいて怪我をさせた時。手首にひびが入ったようで、痛みで弟は一日中泣いていた。照れくさくて謝る言葉は出なかったが、涙の乾いた後を顔に残しながらやっと弟が寝付いた時、家族のみんなも寝たのを確認して、寝入った弟の前で手を合わせて何度も何度も詫びを入れながら涙を流した。それから祖父が病気で寝付いた時。夜中に何度も厠に向かい、腹に何も無いのに戻し続けていた。ぜいぜいしながら短い息が暫く続いていた。襖を隔てた隣の部屋で私は布団の上に上体を起こし、祖父の苦しそうな呼吸が止むまでひたすら祈り続けた。治まると、どうして祖父がこんな目に合わなければならないのかを誰に問うでもなく尋ね、恨みを含んだ怒りの涙が暗闇に見開いた目から溢れ出た。悲しい時、辛い時、悔いて申し訳ない時、そして遣り切れない時、涙はそういう時しか流れないと思っていた。感動して涙を流すことなど有り得ないと思っていた。そんな涙に満ちた暗い人生がずっと続いていくのだと思っていた頃、友達に誘われてみ言を聞いた。親である神様が存在することを知らされても、私に対する神様は別様の存在だと思っていた。小雨に濡れながら下宿に帰る時、小雨の一粒一粒に現れて、子を想い焦がれる心情そのもので包み込む神様を体験した。小雨に身体を湿らされながらも、熱い涙が止め処も無く流れ出る体験だった。こんな包み込まれるような感情の中で流れる涙があることを、その時私は始めて知った。その時からだ。心の琴線に少しでも触れれば幾らでも涙が流れ出る。限度を遥かに超えるほど魂には水分が含まれていて、更に後から後から湧き出でてくるようで、私の魂は乾くことを知らない。

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