2010年6月21日月曜日

今日の想い 184

石ころや無機物の存在と、植物の違いは何かと尋ねる。植物も石ころと同じ様に鉱物元素で出来ている。石ころと違う植物として存在する為には、見えない生命体が存在していることがわかる。生命体の主管のもとで鉱物元素が組み立てられて植物様相を見せている。植物と動物の違いは何かと尋ねる。動物も同じ様に鉱物元素で身体を造られ、植物と同じ様に生命体がその生命活動を担っている。動物にあって植物にないものに、その本能的活動を挙げる事が出来る。人間とは次元の違う心魂ではあっても、それぞれの種類に応じた魂が働いている。それでは動物と人間の違いは何かと尋ねる。人間には植物に見る生命体も、動物に見られる本能的魂(肉身を担う魂)も存在するが、動物と異なるのは思考し感情し意志する独立した魂を持っていると言うことだ。そういう魂様相を現す自我が存在している。それが人間が人間足りうる謂れと言う事が出来る。このように地上世界という時間空間世界で階級的な様相として観察することができるように、時間空間を越えた霊界に於いても階級的なものを観察することが出来るはずだ。地上に於いて鉱物世界、植物世界、動物世界を自分の中に担い関わっている人間が鉱物や植物や動物をどう取り扱ったか、どう主管したか、或いは地上に於ける最上の階級存在として何を働いたかを霊界に於いて問われることになる。堕落したから自我としての認識も曖昧で、神様に直結し、ひとつの個性真理体として神様と一体不可分の自我存在だという意識も薄れ、成長過程のそれぞれの段階に関与している天使や更なる高次の霊的存在達とどう関わり、どう地上生活との関連で霊的実りを彼らにゆだねて来たかを問われているけれど、年を経てもそれもわからずに相変わらず肉の心を中心に生きている。地上で何を与えたかの意味は、霊界で何を受け取るかの意味と同じだ。与えたことはそのまま霊界で受け取るし、勿論悪意を持って仕打ちしたなら霊界に於いては相手の受けた痛みそのままを味わうべく仕打ちを受ける。万物の霊長として君臨しながら、万物に対して愛の主管が為されず自己中心的な支配に終るなら、霊界に於いては逆に支配される立場に立つ。人間としての位置を恐ろしくさえ思うようになれば、口にするものでも触れて関わるものでも、謙虚な姿勢で大切に扱うのは当然の事だ。御父様でさえ水資源を大切にされようと、トイレの水も流そうとはされない。

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