2010年6月5日土曜日

今日の想い 178

特攻隊で散っていった英霊達がそこにいる。主君に忠義を尽くして腹を割った侍がそこにいる。迫害の中で殉教していったクリスチャン達がそこにいる。霊となって私の周りを囲み、私の歩みを見つめている。中心に対して進言のひとつも言えなくて、躊躇したまま今の一歩を踏み出すことが出来なくて、彼らの信任を得るどころか言い訳さえもできないだろう。彼らを恐れて行動に出るのではなく、彼らが認める気概が私に備わっているかどうかだ。彼らと同等に渡り合え、説き伏せるほどの決意と覚悟を供えているかどうかだ。様々な分野で歴史に名を残した多くの者達は、群がる霊達の讒訴を超える決意と覚悟をもって、霊達が屈服せざるを得なかったから協助を得ることが出来、名を残すまでになった。半世紀も生きていれば、自分に屈服する霊がどういう基準であり、自分に讒訴する霊がどういった類の霊なのか、自ずと理解して当然だ。五十を過ぎてそれさえも霊的に把握できないなら余程意識は暗く、未だ眠りから覚めてはいない。霊界を制するものがこの世を制する。様々な問題が立ち塞がる時、明らかにその背後に霊達がいる。その問題を私に提示することを許された霊達が私にその問題を仕組んでいる。霊と対峙し、霊の試練に勝利しなければならない。試練を乗り越えれば、その霊達が屈服し、霊達が引き連れる霊の軍団が私の配下に治まる。その手続きを踏みながら霊的階級を上っていくのだ。祝福家庭である、成約聖徒であるといきがってみても、周りを囲む霊達はせせら笑うだけだろう。確かに私達はある霊雲の加護を受けてはいる。しかしそこに安住して動かなければ私達の内的霊的成長は止まり、逆に堕ち始める。私を讒訴する霊の声を、魂に痛みを覚えるほどに受け止めなければならない。真摯に受け止めてこそ初めて悔い改めることができる。

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