2010年9月2日木曜日

今日の想い 205

店にいれば、店のいろんな問題が店の中に発生し続け、店の内側に問題として吐き出されることが店として生き続けている証しだろう。しかしその内的排斥物を蓄積していけば、体内毒素が排出されず留まって敗血症を起こすように、店も問題に押し潰されて瀕死の状態になっていく。だから店を運営していて毎日の様に生じる歪をどう対処していくかが店の健康状態を決める。店として機能させる為にそうであるように、人間として生きることはそれ自体が身体に不利な毒素を発生させているし、身体に取っては消耗なのだ。妻が腎臓を患って初めてクレアチニンという筋肉疲労で生じる物質があることを知った。腎臓病患者であれば誰でもこの数値を気にしている。腎臓が健全であれば生きることで排斥されるこの疲労物質が尿や汗で排出されるのだが、腎臓を患うと血液をろ過できず体内に留めてしまう。物質肉体がそうであるように、人間としての心魂に於いても、健全である為には魂に貯まる疲労要素をそのままにしては置けない。魂をろ過する役目が必要であり、み言を戴いた私達はみ言による正しい思考が魂を健全なものとする。正しい思考で健全な魂が宿るのは、正しい腎臓の働きが健全な肉体を保つのとリンクしている。腎臓は肉体維持の為の思考の働きをしている。体内の変化を感じて対処法を探しているのは肝臓であり腎臓だ。肝臓が感知し、腎臓が考える。会社に於いては経営者がちゃんと目を行き届かせ、判断し対処することが、会社に取っての肝腎機能がしっかり働いていると言うことができる。では家庭に於いて健全であるために働く存在は何なのかと尋ねてみた時に、自ずと応えは見えてくる。母の位置でしっかりと状況を把握し、それを受け取って父の位置で思考し判断する。一体化すれば逆も在り得るが肝腎機能がちゃんと働いていることが家庭維持に必要なのだ。しかし個々の存在が自己完結的に存在するようにはなっておらず、必ず合目的的に存在することで、即ちより大きな、より公的な目的の為に存在しない限り存在が否定されてしまう。店に於いて問題が山積し頭打ちになるとき、より大きな視点に立つことで解決されていくように、家庭に於いても、そして私自身も、様々な問題を前にしてより大きな視点、より公的な視点に立つことで正しく見つめ正しく対処することができる。私に本心が働くように、家庭に家庭の本心が働き店や会社にも事業体としての本心が働いているかを見なければならない。

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