2010年9月14日火曜日
空の青
あの空の青の中に生命の息吹が詰まっている。空の青のほんの僅かでも戴くことができたなら、数百年を超えて余りある生命の力を受け取れる。自己中心的な人間はあまりにも身体が重すぎて、自己中心のベクトルに執着しすぎて、ますます空の青から遠ざかってしまった。自分への執着こそが自己存在を成り立たせているという偽りの観念に支配されて、短かすぎる地上生を皮膚に閉ざされた内側だけで送っている。アダムとエバが楽園から追放されたように、私達は空の青から遠ざかった。空の青をいつも見上げながら、しかし決してその溢れる生命を受け取ること無く地上に縛り付けられている。今日も青い空を見上げながら想いを募らせる。空の青が恋しくて恋しくて、居た堪れないほどに想いは募っていく。痛みに歪んだ顔を見続け、地上に救いは見出せず、生き永らえることすら恨めしく思う時がある。この分裂を、心と体の分裂を背負ったまま、矛盾する在り様のまま貴重な時間は流れていく。青い空を見つめながらも青色に輝く生命を受け取ることは出来ない。生命のベクトルと自己執着のベクトルは相容れないものだからだ。自己に向かっていたベクトルを他に向けるとき、空の青は僅かばかり近付いてくれる。空の青へ差し出すものを用意したとき、向こうから近付いてくれて生命の強さを受け取ることができる。与える心に満ちたとき初めて受け取ることの意味を知る。執着の思いで集めるものは生命のない形ある霞にすぎないことに気付く。今は空の青への憧れを一時封じ込めながら、与えたい衝動に駆られる自分を取り戻すことが大切なのだ。執着する想いをどこまでも否定しながら、ひたすら為に生きたい衝動を育てて大きくするなら、仰いでいた空の青をいつの日か私の中に見出せるだろう。その時、空の青は私の在り様でもあると言えるだろう。私の青い春が遠からずやってくる。
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