2010年9月20日月曜日

今日の想い 212

九月も半ばを過ぎると光も随分柔らかくなって、外界は真夏の強烈な光を嫌と言うほど浴びながら熱に踊り、そして踊り疲れ、無我夢中で遊んだ後の子供の様に余韻に浸っている。太陽が光を放ち、地上が光を受け取る。光を受け取ることで熱を上げ、全ての細胞は熱に踊る。地上が踊るのを見ながら光を放った太陽も喜びのうちに合わせて踊る。陽が与え陰が受け取る。陰がその美を喜びとして返して陽が受け取る。地上の主体は確かに太陽だ。太陽が地上を愛している。地上の存在は鉱物も植物も動物も、勿論人間も、太陽に愛されている。外的に捉えることができる愛の関係性を、私という内面に見ることができるだろうか。内面の太陽が燦燦と陽光を放って内的生命が益々力を得、私の内面という宇宙に与えて受ける愛が活き活きと交わされているだろうか。外界に見る愛の関係性を感情の爆発が起こる刺激として受け取ることが出来る内面の共鳴体となっているだろうか。夫婦の愛の歓びが只の感覚的なものに留まるなら、外界に広がる愛の関係性の本質も知らないし関わりも無い。ルーシェルが関与する地上的五感の感覚性を突き破って、愛の本質、真の愛の関与する心情圏に飛翔しなければならない。御父様がどれほど真の愛の素晴らしさを説かれようとも、心情圏に入って触れもし浸透もする真の愛を受け取った者でしかその実感は解らない。地上的な愛に執着して留まる限り真の愛は受け取れない。ひと夏を終えて、優しい光に包まれて憩う緑を意識の対象にしながら、未だ被造世界の本質、愛の本質に入り込めず形骸化したものでしか外界を捉えることが出来ない焦燥感を味わっている。しかしいつまでも立ち止まるわけにはいかず、兎に角今日の為すべきことに意志を向けるべきだ。

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