2010年9月11日土曜日

責任分担

責任分担という言葉を私達は知っている。神様が人間に責任分担を与えられたという御父様の発見は人類史上最高最大の発見だ。間接主管圏から直接主管圏に入っていくのにこの責任分担を果たしてこそ、神様が直接的に対してくださる真の愛の絶対圏である直接主管圏に入っていくことができる。アダムとエバは人類の根源の立場で、根源の責任分担を果たすことができなかった。堕落ゆえに人類が罪を背負い悪魔を父母とせざるを得なかった立場で、ありとあらゆる悪が蔓延してしまったこの地上地獄天上地獄に埋もれて、阿鼻叫喚の苦しみを吐き続けた原因が、人類始祖の責任分担が果たせなかったことにある。長い人類歴史の中で今日まで責任分担に対する発見が為されず今に至ったのは、神様にとって堕落の事実があまりにも心痛く、軽々しくお前は責任分担を果たせなかったと忠告できるような状態には無くて、人類にとっても堕落に隠された責任分担の意味を悟るに相応しい状況でもなかったはずだ。責任分担に対する御父様の発見は、神様をなだめてなだめてなだめ尽くして、できるなら触れたくない神様の痛みの根源を御父様の神様に対する精誠ゆえに表に出された。神様にとってみれば堕落の事実は、結果として責任分担ゆえのことであるという神様自身の非を神様自身が責め続けてこられたからだ。神様自身が責任分担という言葉に恨みを覚えておられる。御父様が神様の恨みを解いてこられたように、私達が神様の恨みを解放して差し上げることができるとするなら、絶対信仰、絶対順応を供えることで私としての責任分担を全うしながら、その歩みに喜びを見出していくことだと思う。神様自身が触れるに苦しい、神様の恨みが篭った責任分担を御父母様が完成された意味は、神様を解放されたと言うことだろう。堕落の事情圏、環境圏の中で内的にも外的にも喘ぎながらも、この痛みがこの苦しみがひとつの蕩減条件となり責任分担を果たすことの出来る自由な環境を開くと確信できれば、痛みの中にあっても痛みが喜びと成り得るし、苦労が必ず実る事実を認識できるし、痛みゆえに苦しみゆえに御父母様と共にあり再創造のみ旨に参画している自分を実感できる。

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