2010年9月26日日曜日

今日の想い 214

小さいけれど大切な、私に取っては大切なこの祈りが届くように、僅かの条件を供え続けている。公にすればあまりの規準の低さに馬鹿にされそうだけれども、それでもこの願いを捨てきれない。家族の笑顔で私の魂いっぱいに満たされるなら、私の記憶の景色は明るいものになる。今は全ての記憶に陰りが残り、思い出は重々しい。今の感情がそうさせている。今の私に色とりどりの光溢れるタッチを内面に届ける力は失せていて、灰色にくすんだ線で記憶は縁取られている。自分の感情に支配されればどこまでも灰色に染まり、暗い背景に沈んで存在すらも否定されてしまう。本心を備えた自我の存在があることを教わらなかったら、私は遠い昔に消え失せていた。感情に耐え切れずに暗い魂達の灰色の河の流れに滑り込んで同化し、河を見つめる悩める同じ魂達を引きずりこんでいただろう。堕落的感情に飲み込まれそうになりながらも、それでも辛うじて神様に繋がる自我を見失うまいとする本心が、今の私には働いている。マストを建て直し、帆を張り直して、航海を続けようとする意志こそ本心の行動だ。私の中で神様とサタンが対峙している。本心良心に働く神様と、魂の大きな部分で働くサタンが対峙している。人間が感情存在であるということは、サタンの圧倒的な優勢を保っているということだ。私の祈りへの発露は、自分の感情に抗することができない弱さから出ている。でも、それでいい。弱さを自覚することでしか未だ堕落的な私がより本心を認識し、神様に繋がれた自我を認識していく道は他に無い。自分の弱さを十分に認めた上で、痛みを取り払われることを願い、十分な収入を願い、子供の先行きの安定を願い、しかし未だ叶わない願いに余分な感情や執着を重ねるのは自分の弱さを認めた立場ではない。弱い私は今日も条件を立てる。条件を供えて祈りを聞き届けられる日を心静かに待ち続ける。

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