2010年9月29日水曜日

今の今を生きる

人間は本来、今を生きる存在に違いない。この体は今を生きている。しかし体は今を生きているけれど、私は今を生きていると言えるだろうか。今を生きることを意志していると言えるだろうか。過去にこだわり未来を案じることに自分を費やしてはいないだろうか。今の私の生き方の在り様を何の疑問も持たずに受け入れていると言うことがそもそも間違いなのだ。時間の流れに魂を任せてしまって、惰性的に生きている生き方だけが生きる在り様ではない。過去と未来にこだわっている限り、そのこだわりゆえに今を生きているとは言えないだろう。その生き様を説明するなら、魂は過去に訪ねて見たり、そして定かではない未来に遊ばせている。今という基点は過去と、そして定かではない未来を行ったり来たりする通過点に過ぎない。今がただの通過点に過ぎないなら今を生きているとは言えない。過去と今のない未来(今を生きてこそ本当の未来はある)、それは私ではない他の霊が大きく関わってしまう他人任せの未来と言えると思うが、それにこだわることで時間は私には重荷となって自分を縛ってしまう。過去と未来を行ったり来たりすることで今を生きることに意志を捧げてはいない。だから私が認識している時間の概念には時間の縛りが含まれている。時間に拘束されている。御父様が私達に語られるときに、君達が~すれば直ぐにでも(明日にでも、瞬間に、)~となる、と言う言い方を良くされる。それは物の言い様としての言葉ではなく、事実時間に拘束されない御父様の偽りのない言葉として私達に伝えておられる。私達は今を生きることに目覚めなければならない。今を生きることで初めて意志した果実としての未来を見通せる。未来は私のものであり私の主管の内にある。一切の過去振り返らず、一切の未来を案じず、ひたすら今を生きる。今を生きることで過去が息を吹き返す。今を生きることで未来を産む。

0 件のコメント: