2010年9月25日土曜日
現代終末に於ける内的秘儀
人は普通、波の立たない平穏な毎日を送れることを望んでいる。しかし、明らかに今日食べるものも無く、雨風を凌ぐしっかりした家屋も無く、明日の命をも保障されない人達も現実としている。或いは、外的な生活に何の心配も無かったとしても、内的な不安や孤独に襲われて耐え切れず、自分を無いものにしたいほどさまよっている人達もいる。その現実に目をつむり耳を塞ぎ、己が平穏だけに執着するなら、それは本当に平穏だと言えるだろうか。決して人の目を気にする偽善からではなくても、世界の問題への認識を持っている以上、今前に置かれた食べ物を何の負債も無く喜んで食べ、無邪気に笑える毎日を送れるはずはない。敢えて無視して生活していればそのうち気にも留めない自分になっているけれど、確実に負債は内面に積み重なっている。いつの間にか我知らず莫大な負債を溜め込んでいる。み言に触れ御父母様に帰依するなら尚更だろう。平穏な日々の中では絶対に新たな創造は為されない。波風の立たない平穏な内面の位置をゼロとするなら、ゼロの位置からの創造は為されない。ゼロの位置で創造への衝動は働かない。内面に於いてマイナスの位置に下ることで初めて創造への衝動が沸き起こる。マイナスの位置に下れば下るほど、創造への内的力は更に増す。御父様は私達により苦労することを願われる。苦労の百科事典としての統一の群れを願われる。神様が創造されたこの世界は原理原則で貫かれている。堕落した世界であっても同じことでサタンも原理原則に従わざるを得ない。より苦労したものがより高みを目指せる。自分の許容範囲の限界を超える苦労の領域に敢えて押しやられることで、堕落領域が横たわるゼロ点のあたりを遥かに超える領域に飛翔していける。味わうこの苦労が見事な化学反応で高みへの衝動力に変化する。新たな内的外的創造への爆発になる。何ひとつの苦労も無駄にされることはない。苦労が見事にその何倍にも力を作用させるビッグバンとして爆発創造されるように、苦労を甘受し痛みを感謝に変えながら、最も悲惨な立場から最も霊的高みに瞬間移動する天的な内的秘儀を御父様から学んでいる。私達は外的のみならず内的にもどれ程惨めに見えるか知れない。しかしその中でこそ培われてきたものが確実にある。千態万状の苦労のマイナス位置に下れば、千態万状の創造のプラス位置の高みまで届く。
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