2010年9月4日土曜日

今日の想い 207

いつも何か受け取ろうとしている。何か貰えるものはないか期待している。神様を信じることは善しとしても、神様に対しては常に要求モードだ。本然の人間であれば与えたい衝動に満ちているはずで、神様に対してもあれをして差し上げたいこれをして差し上げたい、その想いに突き動かされて常に与えるモードなのだろう。私達が堕落人間の位置とは一線を引いた祝福中心家庭であることの実感は、どんなに困難な状況にあっても、そうであればあるほど御父母様をより慕い、より何かして差し上げたい想いで満たそうとする意志を備えていることだろう。訓読会の様子が流されている映像を前にし、映像であっても並んで座られておられる御父母様に対しながら、何とも言えない懐かしさと慕わしさが内に溢れ出して目頭が熱くなるその自分こそが、申し訳なくて悔い改めに至ろうとさせる私自身だろう。その衝動に私の全てが包まれ、私自身が愛の出発点になれれば、この私という実体は堕落圏の壁を突き破って解放される。私の周囲でせめぎ合う困難という名の霊的暗雲は、私を試すと同時に私を訓練し強くしてもいる。困難が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、私は慕う力を強くする。慕う力を強くすることで数次元を越えた先にある御父様と同じ心情圏に飛翔できる。心の余裕が無くて散らかったままの部屋に身を埋めながら、目にしている味噌も糞も一緒の光景が今の私の内なる光景でもある。今日は少し片付けながら内的な整理もしなければならない。困難に押し潰されるのではなくて、困難を触媒にして新たな世界を創造していくのだ。その気概を持って今日を掻い潜る。

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