2010年9月27日月曜日

秋口の思い出 2

なだらかな山の斜面を登るように、ススキの穂が一面を覆っている。秋の優しい日差しを受けて見渡す限り銀色に光っている。時折吹く風に一斉に穂を揺らして銀色の絨毯が大きくうねる。海の見えない山村で、目の前に海が広がる感触をこの場に立つことで覚える。銀色の波打つ海が全方向に広がっている。はしゃいで走り回る友達には目もくれず、細めた視線を遠くの方に遣りながら暫くの間佇んでいたが、意識を取り戻したように私に微笑んで目配せすると、大きなバスタオルを広げた。そこに腰かけ私にもそうするよう促すと持参した弁当を広げ始めた。から揚げやらサンドイッチ、家では口にすることも無い色鮮やかな料理が並べられた。母親とですらこんな状況は一度も無いのに、ひとりの女性と一緒に食事をすることに何か罪悪感らしき感情を母に覚えた。相変わらず何も喋らず下を向いたままで、薦められるままに機械的に箸を運び口を動かしていたが、その内に先生の方から覗き込むように色々と尋ねてきた。詳細なことは覚えてないが、他愛も無い問いだったように思う。小学生に尋ねることなどたかが知れている。可愛い教え子のひとりというだけのことだ。その先生は二年の間同じクラスを受け持った後、他の就任地へ移動になった。新しい学年になっても暫く胸の中にスースー風が吹いたような感じだった。秋口になるとススキの海を思い出す。ススキの匂いのする風が止むたびに香り立つ先生の匂いを思い出す。その頃のことは殆ど記憶にないのに、何故かこの思い出だけはその時の感情そのままに再現できる。誰にも心を許さず、母親の匂いだけに包まれながらそれまで守られてきたけれど、初めて外界の匂いを宛がわれ、外への関心を誘うような出来事だったからだろう。思春期にはそれなりに周囲の異性への関心もあり、少なからず恋心も芽生えたけれど、あの時の思い出ほどの経験はあれから一度たりともなかった。先生の女性としての優しさが全ての女性の優しさのままに保たれることで、それが誰であろうとも、やがて出会う相対を迎える純粋な期待感が、私の中で芽生えていた。

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