2010年9月13日月曜日
今日の想い 209
音楽であれ演劇であれ、芸術といわれる全てのジャンルに於いて、それぞれのジャンルの表現方法を用いて霊の本質を表現している。五感に圧倒されて生きている人間の、五感のみでは受け取れないその感覚の裏に隠されたものを表現できる。芸術は該当する製作者本人も含めて霊の本質の表現だ。それは見えないもの聞こえないもの、五感で受け取れないけれど存在するもの、根源の奥にあるものを取り出しながら感覚的なものに現していく。その霊の表現を創造ということができる。非原理という堕落の血統圏でありながらも、様々な芸術分野に於いて神性を垣間見ることができる作品が創造されている。ましてや祝福を戴いて御父母様の血統圏に繋いで戴いた私であれば、彼らの作品を超えて余りある創造活動を為して当然であり、彼らが見上げる証しを立てることが必ずできるはずだ。私には私の創造本性が生きている。見える実力として備わっている何ものも私の中には無いように思えて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準とひとつになろうとすれば、御父様と心情をひとつにしたいと願い邁進すれば、ひとつとなる過程で必ず本然の創造性を発揮する雷光が煌く瞬間を迎えるはずだ。終わりの無いような嘆息の日々に主管されるのではなく、必ずその期待感を持って歩むべきだ。霊の解怨というように、霊と聞いて霊障を与えるような霊の存在は信じているけれど、創造性を喚起する神霊の関わりが私にもあることは信じてはいない。ヤコブの前に格闘を挑み試練を試みようと現れた天使は、勝利してみれば福を与える祝福の存在であったように、この道の困難さを思い知れば思い知るほど、その背後に大きな恩恵として創造性を喚起する神霊存在が活動を準備していることを期待すべきだ。真の父母に繋がらない者は益々霊に振り回されるだろうし、逆に私達は益々神霊に満たされていく。
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