2011年11月3日木曜日

今日の想い 369

草食系、肉食系というような言い方が若者の気質を表す言葉として出ている。人間は欲望を満たす衝動に突き動かされて動くものだとばかり思っていたのが、自分を含めた今までの人間認識には当て嵌まらない若者が増えてきたのを認めざるを得ず、そういうガツガツしたものを持ち合わせない若者を昌して草食系と言い表している。そういう見方をすれば、ひと時の教会にいる私の周りの兄弟達は、当時にしてみれば意外と草食系の部類に入る人のほうが多かったかも知れない。抑えられてそうなったのか、もともとそういう気質の人が集められたのか、ガツガツしたものを感じさせる兄弟は少なかった。欲望が自分を地獄へと突き進ませるという認識を持っていたけれども、一方で欲望という強烈な吸引力がなければ富も権威も成功も手中に収めることはできない。欲望を持つこと自体が悪だとはみ言葉のどこにも見当たらないが、自己否定と欲望の否定を混同している為に、熱を持たない、生命感や躍動感に溢れない気質に傾いてしまう。しかし本当に光を当てるべきところは別にある。雲や霞のような欲望を漠然と捉えるのではなく、欲望の本質に光を当てて見通さなければ、人間性を否定した歪な形で理想の私を描くことになってしまう。私にルーシェル的な影響がどのように入り込み、どのように働いているのかを見届けられない限り罪や堕落性の本質に触れることもなく、み言葉の内容を生活とは距離を置く非現実的なものに捉え、救いも霊界も天国も外的感覚的なものとして捉えて自分にやって来ることを永遠に待ち続けている。それは空を仰いで再臨の主を待ち続けるクリスチャンと何ら変わらない。欲望がどのように個人中心的なものに踊らされてきたか、逆に欲望の熱を冷まさせることでどのように人間本来の欲望であるところの為に生き高次の精神へ向かう衝動を封鎖させたか、その問いの答えに本質はある。その本質的なものを霊的なものと言っていい。内的な火として燃えるものにルーシェル的な霊が働き、逆に火を冷まし消すものに神霊的な霊が働くと言うだけでは、神様が人間に霊を吹き込み個別的な魂の存在にさせた意味が見当たらない。肉食系のようなガツガツした自己中心的欲望を燃え立たせるのも、ルーシェルの仲間によるものかも知れないが、草食系のように夢や希望への強い向上心を見出せず、薄く静かにトロトロと弱火で通そうとするのも別の堕落的なものが関与している。

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