2011年11月26日土曜日
今日の想い 375
見えない障壁が私と対象との間にある。間にあって意思疎通の流れるのを堰き止めている。見えない障壁が人と人の間にある。間にあって愛の流れるのを堰き止めている。愛が自己の中で還流するだけなら、愛による一体理想は永遠に訪れない。夫婦がひとつになり、親子がひとつになるとき、家族としての一体理想が霊的な天国空間を創り出す。家庭理想には夫婦間の障壁も溝もなく、親子間の障壁も溝も無い。血流が体中を巡るように、愛の流れが十二対象愛の形をとって家庭理想という天国空間を巡っていく。この見えない障壁や溝を、見えないだけに障害だとは捉えていない。見えない障壁に囲まれた内側の溝の底で、見て触れる他の人間を景色のひとつとしか捉えられず、自然や万物のもろもろを生活の道具としか捉えられない。その愛情を覚えない内的距離の隔たりが、私と対象の間にある障害によるものだとは思っていない。障害の内的霊的な意味するところが解っていない。声も届いて見ればすぐそこにおり、手を伸ばせば届いて触れることができる。その距離の近さに惑わされて、内的な隔たりが、埋めることが出来ない深い海溝が、手を伸ばせば届くほどの間に横たわっていることを感知できないでいる。その溝を埋める作業をどれほどしてきただろうか。投入して投入したことを忘れ、さらに投入してさらに投入してきたことを忘れ、その、為に生きる意志を具え続けることで、私と対象の間に橋を渡し道を切り開こうとする。そうやって御父様と共に溝を埋め尽くすことに、平準化することに一生懸命になりながら、精誠を供えた者でしか味わえない真の愛の味がある。真の愛の味を覚えた者こそが本当の食口だ。愛は与えて忘れるという言葉には御父様の恨の涙が染み付いていて、このみ言葉が私の魂の感情部分を共鳴させ、我知らず胸が震えてくる。溝を埋めてきた歩みであったけれども、気付いてみれば埋めていたのは自分の足元であり、少しずつでも御父様の高みへと近付いていた。
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