2011年11月9日水曜日

疲れた兄弟達に

底が見えない深くて大きな穴の中に、手ですくっては入れすくっては入れながら、十年も二十年も、或る者は三十年以上も投入し続けながら、それでも穴が埋まる気配さえしない。蕩減という穴埋めは終わったはずなのに、それでも投入し続けるのは自分の穴が大きすぎるせいだろうか。いろんな思いやいろんな疑念が私の内面で錯綜しながら、ひと時はそれでも惰性に任せて動いていたけれど、さすがに疲れてしまって一度下ろした腰はもう上がりそうもない。為に生きる愛、。犠牲的な愛、、。真の愛、、、。受けるにしても与えるにしても、愛の最も溢れる場所に位置していたはずが、愛から最も遠ざかったところに佇んでいるようだ。愛と言う言葉に触れても口に出しても、もはや私の中から萌え出でるものは覚えない。砂を噛むような生活だけが堰き止められることもなく流れている。私が時々そう感じるように、兄弟達の多くも、如何ともし難い疲労感を背中に負っているだろう。しかし、そんな事情を御父様が知らない訳もない。御父様の目がどんなに小さいと言っても、小さいからこそ私の遥か遠い未来までも見越しておられるはずだろう。息を吐いて、吐いて、更に吐いて、塵一つほどの息も残さずに吐き出させるのが御父様のやり方だ。もう出来ませんと言っても、どんなに小さな余力であっても、残っていれば投入させるのが御父様のやり方だ。訓読会の場で御父様の指示されるままに息を吐き続けながら、それがどんな意味があるかも解らずに、狐につままれたような兄弟達の顔が並んでいる。完全に吐き切った後、御父様の合図と共に息を吸う。一瞬に吸って一瞬に肺は膨らむ。吐き切れば吐き切るほどに、吸気は大きくて早い。投入して投入して投入し尽くせば、或る一瞬に、真の愛は私の容量を遥かに超えるほど流れ込んでくる。その道理を教えたい御父様だ。御父様は天地の道理を知っておられる。個人も全体も、全てを投入して辛うじて死なずに生き永らえている状態を見越したように、御父様は宣布式や勝利宣言をされている。もはや残っている何物もありませんと、全てを投入しましたと、神様にその報告をされるように、勝利宣言をされている。だからもう少しの辛抱だ。最後の力を振り絞って御父様にしがみ付いていればいい。D-DAYに合わせて、天地が大きく吸気するように、真の愛が全宇宙から流れ込んでくる。だから、後もう少し、、、。

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