2012年5月8日火曜日

金匠

この近代の経済の発展に大きな影響を与えたのは、物質的価値に信用という価値を注ぎ込んだことだ。信用という言葉は随分綺麗事に聞こえるが、無いものを有るものとして信じ込ませたのが信用の発端にある。ゴールドが絶対価値とされ、ゴールドを価値尺度としていた13世紀当時、ゴールドは重いし盗まれないように金匠(金細工師)に預け、金匠は預かったゴールドに対して預り証を渡していた。金匠はゴールドへの交換要求が常に一割前後であることに目を付け、ゴールド預かりの9倍の預り証を発行してゴールドの足りない貴族達に貸し出し、金利を取り始めた。要するに金匠は無いゴールドを有るものとして信じ込ませたと言うのが実のところだ。複利で計算された金利は膨れ上がり、金利で得た新たなゴールドの9倍の預り証を発行して金利を稼ぐと言うふうに、金匠は莫大なゴールドを仮想保有していくことになる。今の銀行も、総預金額の8%の資本があれば良しとされており、取り付け騒ぎが起こって預金者が一気に引き出さない限り問題はない。危険性も含んではいるが、国が銀行の多くを補償しているので通常起こることはない。信用の起源は狡猾に信じ込ませた(騙した?)のがその起こりであり、年数を経るほどに社会や政治にも深く広く影響が及べば、それを崩すことは全てを崩すことに繋がるので暗黙の了解となり、イタリア、ベネチア界隈の金匠をルーツとする何々家と言われる財閥系は、経済の根幹を握ったまま今日まで来ている。現代の中央銀行システムも、根幹は勿論彼らが握っており、FRB(連邦準備銀行)だろうがBIS(国際決済銀行)だろうが同じことだ。信じ込ませた(騙した)と言う事と信頼したと言う事とは本質が全く異なっている。信じ込ませた信用は必ず崩壊する。そして信頼を置く信用が必ず台頭してくる。最近はFXや投資信託で、自分の拠出金の10倍20倍で売り買いをしているのだから、現代は皆が皆金匠だと言えるだろう。そこに全意識を投入してしまい、仕事であり社会貢献としての立つべき足を必要としないなら、生活自体も夢や幻状態になり、麻薬中毒患者と同じようにごく普通のことが狂気として彼らに迫ってくるようになる。