2012年5月2日水曜日
血統的転換
血統(的)転換のみ言葉を読めば、メシヤがどういう経緯で堕落と関係のない、即ちサタンの讒訴圏を越えて生まれるに至ったかを読み解くことができ、また人類の真の父母として、人類を生まれ変わらせる存在になりえるかを説明されている。イエス様は聖別された胎中から堕落以前の位置で生まれたけれども、その位置で既にメシヤとしての条件が備えられていたかというと、公生涯3年の出発に至るまでの30年の勝利的歩みが必要になってくる。いくらイエス様がサタンの讒訴圏に無くても、イエス様個人の位置に留まっていては人類を救うメシヤとしての条件は備えられない。天から地上に下る方法ではなくて、地上に堕ちた存在が天に帰る方法を示さなければメシヤとはなれないだろう。それゆえに堕落以来の歴史に関与した億万のサタンとの熾烈な戦いが生死の境でなされて、全てが完全屈服して頭を下げないかぎり、人類を産みかえる真の父母とはなれない。罪のない存在でありながら、罪の代価を身を持って払い続けることを良しとされ、サタンは勿論のこと神様までもが容赦ない責め苦を容認される。人類の生贄であり歴史の生贄が公生涯までの宿命的路程だ。私達には理解しようとしても到底理解できないだろう。そこまでの辛苦を味わうこともなければ舐めることも出来ない。御父様が生贄となることで、私がサタンの手から買い戻される。私が戴いた祝福は犠牲の血が流されて勝ち取られた祝福だ。御父様の血と汗と涙を代償に受け取った祝福でありみ言葉だ。その実感が湧かないからと祝福を蔑ろにする者がいる。歩み始めたものの、犠牲はおろか泥が跳ね返ったからと非難を浴びせる者がいる。救いを与えようとされるのに、スイカやキュウリがないと文句を言う者がいる。ありとあらゆる理屈をこねて反論する者がいる。納得させたら救いを受けてやるとでも言うつもりだろうか。こうも傲慢な態度で平然とおられる神経が私にはわからない。御父様は人類全てに救いの道を開いておられる。血統転換して真の父母によって生まれ変わる為には祝福を戴かなければならない。その祝福は、生死の境で誰よりも、何よりも、自分の生命よりも真の父母を愛する、その決意と覚悟の基台によって支えられる。
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