2012年5月30日水曜日

その日に向かって

再臨のメシヤの時代に居合わせ、その御方が期限まで表明された摂理の最終段階に、地上に存在していることの重さを受け取る必要がある。人間存在それぞれが私であって私ではない。私に多くの霊が再臨協助し、摂理の最終段階を共にしている。周りを見、世界(特に教会内外)を見れば歴史上の全ての役者が出揃っている。聖書に登場している存在も人物も全て降り下り、摂理の最後舞台として演出しているかのようだ。勿論神様の側近中の側近であったサタンも、神様の位置におられる御父様の側近中の側近から登場した形になった。グループに心を売って首謀者に従えば、カインの党派としてのカイン的位置にあった歴史上の人物を、自分の体に憑依(?)させてしまうことになる。それが運命的なものなのかどうかは今の今決められる事ではないが、本人が悔い改めて一刻も早く御父様のもとに帰る努力を惜しまず努力すれば、エサウがそうであるようにカインの位置を勝利しヤコブと一体となって、アベルの位置と同じ位置を取り戻すことができる。悔い改めながら、その都度再臨協助している霊を復活させ、その都度より高い霊を受け取って行く。或いは逆に、協助している霊の前轍を踏んでしまい、より低い霊を担って蕩減を増さざるを得ない。私が誰を担っているかを明らかにしなくても、担っている霊の勝利すべき内容は本人がよくよく分かっているはずだ。それが曖昧だと言うなら、祈りが足りないだろうし内的に私を見つめ直す必要がある。サタンの位置にあればエバを奪おうとするだろう。カインの位置にあればアベルを殺そうとするだろう。ハムの位置にあれば御父様は裸で何もないと言うだろう。パロの位置であれば兄弟達が復帰する全てを我が物にしたいと思うだろう。モーセに従うイスラエルの民の位置で、摂理延長の荒野路程に疲れ果てて信仰を弱くすれば、生活重視に意識は取られて金の子牛を祭り上げる者に従うようになるだろう。過去の全ての霊が再臨協助するとはそういう意味だと捉えられる。しかし明らかなのは、御父様は既に完全勝利されたのであり、悪が闊歩したサタン主権の六千年歴史が繰り返されることはなく、悪へ身を落とせば落とすほど己の首をより締めざるを得ない。妥協できる逃げ場は何処にもない。