2012年5月11日金曜日

今日の想い 402

いつもの年と何ら変わりの無い時間が流れ、同じように春から夏へと衣替えしていく季節を外界に見ている。2012年という歴史的、天宙的大変革の年であることは、外界の印象だけに浸っている限りは見届けられないだろう。しかし、気付いている者は鳥肌が立つほどに感じ取っている。人類がヤギと羊とに分けられる過程は既に始まっていることを、、。摂理の中心的位置にある統一の群れが大混乱の中にあることの意味は、やがては世界的にも大混乱になることは免れ得ないと言うことだ。中心位置での出来事が世界に投影されることは歴史が証明している。過去に於いては数十年、数百年という時間的な開きがあったが、摂理の最絶頂期に於いての時間差は殆どない。最後の決戦の場を神側で迎えるのかサタン側で迎えるのかと言うことだが、教会に所属していれば神側だと思っている兄弟が殆どだか、教会さえもばっさりと分断されるかも知れない。最後の供え物、最後のハトを裂く分別が今の今為されている。グループ内に所属する者は早々に見切りをつけて飛び出すべきだ。時間が経てば経つほどに抜け出すことは不可能になってくる。籍を置けば内的にも根付いていくからだ。誰もが生活のことを考えるだろう。後先考えず飛び出したところでどうなるものでもないと思うだろう。しかし文明に踏み絵の前に立たされている。生活のことを重点に置くのか、願いに応えたいと思う意志に従うのか。自己か御父様かの分岐の尾根が私の中にはっきりと横たわっているのであり、時間が経つほどにその尾根は益々聳えて超えられなくなる。グループに所属しない者は助かったと思うかも知れないが、グループに関わっている部分もあるはずだ。それが金銭なのか人との繋がりなのかはそれぞれだろうが、それを取り返す意志を持つかどうかはグループに所属しない者の前にある踏み絵だ。面倒なことには踏み込みたくないと無視すれば、体はグループに所属しなくても心を彼らに許して明け渡している。当面羊の格好をしていても内面がヤギなら直ぐにヤギになる。奪われたもの、公的に貸し付けているものは特に御父様の名にかけて取り戻すべきだ。自分の心魂のハトも明瞭に裂いて天に供えるべきだ。